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社会科連載コラム

ロバの目

第18話 勇気





「せんせー私頑張る」




その声がとても私の頭の中でダブり共鳴した。













今は、1学期期の末試験が始まろうとしている。


いつものように社会科の質問が連日連夜続く。


平日は中学生をメインにしているから、高校生の質問はどうしても土曜日や日曜日になってしまう。


「ロバさん、いつなら質問できる?」

「土曜の晩か、日曜日やな。日曜だと、質問が朝からあるから・・・・・夜の7時からなら1時間できるぞ。」

「わかった、その時で!」



という具合だ。

すまない。高校生諸君。

時間は限られているのだ。

時間だけではない。

何をするにしたって、「限り」というものがある。










私が、大学3年の夏。





大学の前期試験が全て終わった。

同時に、私の2週間の不眠不休の戦いも終わった。

この開放感はたまらない。思わず、みんなでガッツポーズ。



私は早速、旅の準備にとりかかる。

とは言うもの、リュック1つで片付くほどの荷物。

そう時間はかからない。

時間もかからなければ、お金もかからない。

旅は飛行機なんて使わない。

もっぱら、船か電車かヒッチハイク。



沖縄から3日かけてバングラデシュのダッカに到着した。

陸に着くと、まだ波に揺られているような激しい「陸酔い」に必ずあう。


そこで登場するのが「酔い止め薬」だ。私は乗り物酔いはしたことが無い。

いつも陸酔いだ。


「酔い止めを陸地で飲むなんて・・・・。なんて苦労な旅だ。」







そう思う人もいるだろう。

しかし、私は面白い。面白いというよりワクワクする。

薬を飲むとき、いつも思う。

「あー。また始まった。今回の旅はどんなことが待ってるんだろう」

そう思うともっと楽しくなる。





今回はバングラデシュの農村地域の生活飲料水確保の工事と調査をするために来た。


優しく言うと「村に井戸を掘る」っていうこと。


水道なんてない。


別に給料が支給されるわけではない。

楽しいから行く。それだけ。




実は私の旅にはいつも2、3人のパートナーがいる。

しかし彼らは、いつも決まって飛行機だ。

行き帰りは別行動。

その分、誰にも気兼ねすることなく自由奔放で快適な旅が満喫できる。

別に彼らが嫌いという訳ではない。


村の公民館を宿舎に現地スタッフと合わせて、総勢11名。

私の役目は村民に井戸の扱い方の指導と健康調査。




井戸を掘り始めて5日。




調査と作業は無事に期限以内に完了した。

この地域は今まで、生活飲料水を得るために隣の集落なで行かなくてはならなかった。


隣の集落といっても10kmだ。

この村は山間部に位置し、険しい山道を進まなくていけない。

女性たちは日の出前に家を出発し、3時間かけて家に戻る。


しかも、汲んできた水はとても飲める水とは言いがたい。

茶色く濁り、不衛生だ。


日本みたいに家庭に蛇口があり、ひねれば水が出るなんていう家は、ここにはない。




そんな村に井戸が出来た。


村人は大喜び。

大人も子どもも井戸の水を掛け合い喜んでいる。



村の井戸掘りが終わっても、私は村に滞在した。




私には理由があった。




正確にいうと理由ができてしまった。




「村に井戸を掘るために日本人が来る」


その情報を聞きつけて1人の女の子が私たちを訪ねてきた。


彼女の名前はアルー。

アルーは近くの街で日本語を学んでいる大学生だった。






「日本の大学で農業や工業の技術を学びたい」


だから日本語を学びたいと言っていた。




大きな夢のために今、何をすべきかを模索した結果の答えだった。


その日から毎日、私とアルーの日本語生活が始まった。


最初は私が聞き取れないほど、ひどい訛りだった。







しかし、彼女は頑張った。





1週間後、彼女の話の内容は理解できるほどに上達した。



私が村を発つ前日、アルーは私に言った。




「家族は日本語の勉強など無理だと私に言いました。でも私は日本で勉強したいです。」


「私は日本で勉強して、村のために頑張りたいです。」


大きな瞳を私に向け、彼女はそう言った。


その瞳には強い意志が宿っていた。






翌日、ダッカ行きのバスに乗り込む時、アルーが私に言った。










「せんせー私頑張る」




「元気でいて下さい」







大きく手を振りながら彼女は叫んだ。



その姿を今でも鮮明に覚えている。



満面に笑みを浮かべ、見送るアルー。





私も大きく手を振りながら、小さくなっていくアルーを見つめていた。









それから1年後。



アルーはバングラデシュの大学を卒業し、大阪の大学に見事合格した。





実はアルーは私より2歳年上なのだ。













私は今でも覚えている。


「せんせー頑張る」


あの言葉を思い出すと、私も負けられないと奮起させられる。


必死に、一つのことを頑張る姿というものは、時に他人に勇気を与える。


そして、自分がもっとも輝く瞬間だ。


今日より明日を輝かせるために、我武者羅に今を生きよう。


さあ!期末試験もがんばれよ!



以上!

# by taku_kuma_2 | 2008-07-04 03:16 | ロバ吉  

社会科連載コラム 第17話

ロバの目
第17話 一度でいいから・・・。

みなさん。

こんにちは。

「ロバの目」のお時間です。

このコラムをご覧になられる際に、ご注意して頂きたい点があります。




受験には関係ないかも知れない。


テストの点に結びつかないかも知れない。


しかし、生きていく中で知っていて欲しいのです。


「世界」という存在を!


今回はカンボジアが舞台です。








カンボジアは20年続いた内戦から、ようやく復興の光が見えていた。



国民生活にも平穏が訪れた。





カンボジアの王都、プノンペン市。



真新しいアスファルトに朝陽が輝く。



街には活気がある。



市場から運ばれた魚や野菜が、店頭の見世棚に並ぶ。




人や車の往来も激しく、自転車のベルの音、車のクラクションの音があちらこちらで聞こえる。




確実にこの国は発展を続けている。








しかし、それはこの国のほんの一部でしかない。


街を歩いて気づいたことがある。




それは路上生活者の多さだ。





内戦で同じ民族が殺しあった。



家を失った者。



財産や職業を失った者。



愛する家族を失った者。






戦争からは何も生まれない。






ただ、唯一生まれるもの。






それは悲しみだけだ。










プノンペン市内の道路沿いには数多のブルーシートのテントが存在する。



皆、内戦で家を失った者たちの家だ。



ストリートチルドレンと呼ばれる親のいない子どもたちが、路傍で眠っている。



道行く人は、その子らを見ないように行き交う。



まるで暗黙の条例があるかのように、誰も見向きもしない。




その子らの手足は泥にまみれ手足は傷だらけ。



中には、シンナーなどの薬物が入ったビニール袋をくわえている子もいた。



空腹をしのぐため、わざと脳を麻痺させるのだ。



そうでもしないと、彼らは1日を耐えることができない。







そう。



これが、この国の現実なのだ。





この王都プノンペン市の郊外にステン・ミエン・チャイという地域がある。



ここは王都のゴミ捨て場。



フィリピンのスモーキーマウンテン同様、広大な敷地に立ち入ると煙が視界を奪う。



雲一つない晴天なのに、ここでは空が灰色だ。



10m先はまったく見えない。




そして何より私を襲ったのは強烈な悪臭。



肺にその空気が入ったら最後。



吐き気が止まらない。




目を凝らすと、多くの人が煙の中でゴミを拾っている。



食べられそうなもの。



お金になりそうなもの。



それぞれを探している。



4歳ぐらいの子どもたちも大きなズタ袋を担ぎ、かぎ棒を持ちゴミを拾う。



ここでは戦争が続いている。



生きるために、大人も子どもも関係ない。






私は、8歳ぐらいの男の子に出会った。



足の先から頭まで真っ黒。



裸足で、手を見ると爪が割れ、傷だらけだった。




この少年と私は仲良くなった。



私が悪臭で吐き気を催している時、傍らで笑っていたのが彼だ。



彼は笑いながら私に近づいてきた。



「大丈夫かい?」



私が手のひらを横に振って鼻をつまむと、さらに笑われた。









私は彼に聞いてみた。






「あなたの夢はなんですか」








彼は少しはにかみながら答えた。





「一度でいいから、おなかいっぱいになるなまで食べてみたい」








これはよく耳にする言葉だ。


この子だけでなく、「一度でいいから、ご飯をお腹いっぱいに食べてみたい」と子どもたちはよく言う。



それは、本当に食べ物がないからなのだ。



だから「お腹いっぱいの食事」が彼らの夢なのだ。




ここで、暮らす人はプノンペンでも最下層の人々だ。



大多数の家庭には父親がいない。



母親と子どもが生きるため、必死になって働く。



この男の子も夜明けから、日没まで1日10時間以上働くんだと言っていた。



ビンや空き缶などをゴミの中から拾い、街のスクラップ工場に売って現金を稼ぐ。



1日働いても50円にもならない。



1食分を稼ぐのがやっとなのだ。






私は体力に自信がある。



だから子どもたちと一緒になってゴミを拾ってみることにした。



そうしたら、2時間も持ちこたえることができなかった。



強烈な悪臭のせいで、胃の中にあるもの全てを吐いてしまった。



それを子どもたちはおかしそうに笑って見ていた。





日本の子どもを連れていくだけで、泣いてしまうだろう。



大人でも2時間もたない。



だから、ここで働く子どもたちの姿を見ると自然に頭が下がる。



ゴミ捨て場を歩くと、1人の少女に出会った。



ゴミの中で空き缶を黙々と拾い続ける姿。



その姿を見ていると涙が自然と出てきた。



彼女はまだ4歳だった。



4歳の少女でも働かないとここでは生きて行けない。



彼女には母親がいた。



けれど、母親の稼ぎでも人が1食分を稼ぐことはできない。



だから、この少女が生きようと思ったら自分で稼ぐしかない。









しかし、それでも生き抜くのは本当に難しい。












彼女は半年後に亡くなった。








本当に理不尽だと思う。








生きようと一生懸命なのに、生きられない。





そういう場所なのだ。










ここの子どもたちは明るくで元気だ。



でも皮膚病や目の病気、内臓疾患など様々な病気を誰もが持っている。



病気のない子どもは誰一人としていない。



元気な笑顔を見ると、余計に辛くなった。




涙が流れた。



止まらなかった。




彼らが必死に生きている姿をみて泣き崩れた。



無様な格好をゴミの中でさらし、大声で泣いた。



この子らに比べ、自分の人生が恥ずかしく思えた。





明日生きているかも分からない。



でも、今日生きていることを誰かに知ってもらう。



朝起きてお互いに、生きていることを確認し合う。



それが、ここでの朝の日課なのだ。







悲しい。





それを聞いくと、心が握りつぶされてように痛くなる。




カンボジアでは中古の靴が100円程度で売られている。



でも、その靴さえ買えない。



だから裸足かサンダルでゴミの中に入っていく。



すると、ガラスの破片や鉄くずで足を切ってしまう。



そこから細菌やウイルスが侵入し、感染症や破傷風などの病気にかかり死んでいく。




そういう子がほとんどだ。




物に溢れ、食さえも粗末に扱い、ありがたさを知らない国がある。




その一方で、ゴミの中で一生懸命に働く子どもがいる。



一度もお腹いっぱいに食べることなく彼らは、死んで行く。



しかし、彼らはいつも死と隣り合わせだが、「生きる」という希望を捨てずに懸命に命を燃やしている。


我武者羅に命を生きている。





彼らは自分の死にざまを痛いほど知っている。



だからこそ、「今日」を必至に生きようとしている。



同じ1日は2度とない。



過ぎ去った時間は、戻らない。



だからこそ、「今日」を必至に生きようとしている。








私たちは「今日」という1日にどれだけ、魂をこめて生きているだろうか。









このコラムは受験勉強には役立ちません。



このコラムはテスト勉強には役立ちません。


しかし、生きていく中で知っておいて欲しいことなのです。


長々とお付き合い下さいまして、ありがとうございます。


ご意見、ご感想等がありましたらコメントをよろしくお願い致します。



                           うちやま ロバ吉

# by taku_kuma_2 | 2008-04-08 04:50  

社会科連載コラム 第16話

ロバの目

第16話 花

みなさんロバの目のお時間です。

どうですか?このコラムは?

このコラムはやはり受験勉強や普段の生活では

まったく役立たないことばかりです。

たしかに、役立たない。



しかし、知っていて欲しいのです。

これから、高校、大学、社会へと大いなる夢を羽ばたかせようと

今を生きる諸君たちへのメッセージです。



それは、私からのメッセージではありません。

アジアの同じ10代の子どもたちからのメッセージです。 




それでは、今回もアジアで必死に生きる子どもからのメッセージをお届けします。














タイの北部チェンマイ。


ここチェンマイは首都バンコクに次ぐ第2の都市と言われている。


その歴史は古く、13世紀までさかのぼる。


そのころタイはアジアの大国「元」から侵攻に苦しんでいた。


元からの進行を防ぐべく、当時の国王は自然の要塞チェンマイを首都に選定し、市内を四方に囲む城跡を建設し、元軍を退けた。






それから約700年の月日が流れた現在。


市街地は、四方を堀に囲まれた旧市街と、その周囲に広がる新市街からなる。


かつては堀の内側を城壁が囲んでいたが、道路建設のために取り壊され、今ではターペー門などいくつかの門がその名残を留めているのみである。






私は、大学の研究調査でタイを訪れていた。


農村における教育実態を調査するためだ。


タイは1960年代から教育水準が高まった。


国民の識字(文字を読み書きし、理解すること)は今では95%以上である。


これは先進国と同じ数値である。


アジアの中でインド、中国、シンガポールをも上回る数値だ。


しかし、これには裏がある。


1960年代までのタイでは、麻薬、賭博、売春などの違法産業に従事する国民が大半だった。


その要因は「国民全体の貧富の差が激しいため」だと考えられる。


改善策としてタイは日本と同じく義務教育の期間を9年間にした。


50年代までは識字率が40%以下だったのが、60年代には95%という驚異の成長を見せた


それに伴い、違法産業も衰退し始めた。









教育は貧困を撲滅させる手段なのだ。



諸君、教育にはたくさんの未来が詰まっているのだ。














しかし、それは都市での話。


農村ではまだまだ発展途上。


学校さえない村もある。


今回の調査はどれくらいの子どもが1日に勉強している(できる)のかを調査した。


都市部では平均4時間だったが、農村では平均1時間未満だった。


それは家計を支えるために働いているからだ。


タイの子どもたちは必至に家族を支えていたのだ。


それが違法産業だとしても。


男の子は畑仕事などの力仕事に従事する。


違法産業に従事しているは9割が少女たちだ。









そのほとんどが売春だ。


子どもたちは教育を受けていないから「性」のことは知らない。


でも自分たちの死ぬ姿は知っている。


それはエイズが発病して村に送り返されるときだ。








諸君はそんな経験はないだろう。


何故だか知っていますか。













それは君たちのお父さん、お母さんが必死に君たちに勉強させてくれる時間を与えているからなのです。








改めて、その事を感じた。











調査もひと段落つき、私は久々に市街地を訪れた。




チェンマイの屋台で食事を済ませ、私はターペー門で花売りの少女を見かけた。




身長は140cmぐらいの小柄な少女だった。






少女は私に気づき、近寄ってきた。




ニッコリと笑顔で


「Do you like flowers?」(花はお好きですか)


と少女に突然声をかけられた。


おかっぱ頭に灰色のTシャツ。


赤色の半ズボンがよく似合っていた。






だいたいタイの花売りは



「Please buy the flower. 」(花を買って下さい)




というが、彼女は違った。



私は思わず




「Yes.I like flowers very much.」(うん。花は大好きだよ。)










そう答えた。




正直、その時の私は、花が取り留め好きというわけでは無かった。







だが、彼女の笑顔が私にそう言わせた。




私の返事に少女はまた満面んぼ笑みを浮かべた。







私は、少女の隣にそっと腰をかがめた。






道端に腰を着けたくなかった。

ターベー門の前には、生ゴミやし尿があちらこちらにあり、衛生的に良くなかった。








私は腰をかがめ少女に


「How much is this flower?」(この花はいくらなの)



「2 Baht」(2バーツ)





当時1バーツが2.8円


少女の売る花は1本5.6円。









日本では一輪で100円。


安すぎる。







少女は4本の花を持っていた。


私はその4本とも買った。






実はこの花、家での鑑賞用ではなく仏像への献花なのだ。


タイは仏教国だから毎日、寺院では地元タイ人の参拝が絶えない。


その参拝時に仏像へ献花をするのだ。








私は少女に近くの寺院に案内してもらった。



お互いに英語はへたくそなので、ジェスチャーだ。













無事に参拝と献花も終わった。

















なんだか私は、その時少女と別れるのが名残り惜しかった。




唐突に







「How old are you?」(あなたは何歳ですか。)





少女は、少し驚いた様子で







「I’m 16 years old.」 (私は16歳よ。)







その身長、体格からとても16歳の少女には見えなかった。











きっとこの少女は満足な食事を撮れていない。


途上国の国には見た目には小学生ぐらいでも15歳、16歳という子どもが多い。


それは栄養不足なのだ。


人間の成長期に満足な食事ができないとこういう現象がおこる。






少女はやせ細った手で私に握手を求めた。


今にもポキンと折れそうな腕。


その腕には骨と皮しか付いていない。


そんな腕で今日も彼女はしっかりと仕事をしていたのだ。









私は眼の裏が熱くなった。










「My name is Roba.」(私の名前はロバです。)


軽く眼を抑え私は彼女と握手した。






彼女の名前はレムット。



私は彼女とここで別れるのが益々名残り惜しくなった。



私は、レムットに家族のことを聞いた。


勿論、片言のへたくそな英語。




レムットはその場にしゃがんで地面に絵を描き始めた。




まずはレムット自身。


その隣に両親を描いた。



しかし、次の瞬間




彼女は母親の絵を手で消した。








彼女の弟を出産するとき、母子ともに亡くなったそうだ。




気丈に話す彼女。





私は空を見上げた。




彼女はその後も絵を描いて私に家族を紹介しようとするが、私は絵を見ることはできなかった。




絵を見るために、うつむくと涙がこぼれそうになる。











彼女は今、家に父と2人で暮らしているらしい。



姉はいるが、今はバンコクで働いている。




職業は





「プロスチチュート」







その時、私にはそれがどんな職業なのかわからなかった。


その英単語を聞いたことが無かった。




「prostitute」


英単語ではこのように書く。





この話はまた、別の機会に書きます。








日が傾いてきた。


そろそろ、私も調査チームの宿舎に戻らなくては仲間に心配される。




しかし、ここの場所がいまいち分からない。


そこで、手持ちの地図でこの寺院の場所をレムットに訪ねた。




ここから宿舎までは約5km。


その途中に彼女の家があるという。





私たちは一緒に家路をめざした。













彼女の家に着いたとき、レムットは私を家に招き入れてくれた。



家の中には彼女の父親がベットに横たわっていた。



レムットは私との経緯を父に話した。



父は静かにうなずき、私に手を振った。






その動きはかなり鈍い。


レムットは洗面器に水を注ぎ、タオルを絞った。




そして、父親の体を拭いた。










その時




一瞬私は言葉を失った。




父親の体はレムット以上に痩せこけれいた。


顔は頬の骨が見えそうなほど痩せ、胸はあばら骨が浮き出ていた。





明らかに栄養失調に、何かの病気だ。


医学の心得のない私でもその様子の苛酷さがわかる。



彼女は背中を拭くため、父を起こした。




父親は自分で起き上がれないほど衰弱していた。



自分で寝返りもうてはいので、腰と背中は床ずれで膿んでいた。







その背中をレムットは優しく拭う。





父の顔から静かに涙が流れていた。




そんな父親をレムットはいたわるように、その細い腕で肩をさすり励ました。









私はその様子をみて、こころが涙で一杯になった。


今にもあふれ出してしまいそうだった。














その時、隣の家から聞いたことのある歌が流れてきた。



日本語ではなく、タイ語にカバーされた歌だった。



彼女は子どもを寝かしつけるように静かにその歌を口ずさんだ。



「I like this song」(私はこの歌が好きなの)



父親は安心したように眠りについていた。









私も途中から日本語で歌った。









  川は流れて どこどこ行くの



  人も流れて どこどこ行くの



  そんな流れが付く頃には



  花として花として 咲かせてあげたい



  泣きなさい 笑いなさい



  いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ







  涙流れて どこどこ行くの



  愛も流れて どこどこ行くの



  そんな流れを このうちに



  花として花として 迎えてあげたい



  泣きなさい 笑いなさい



  いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ


                           花 (作詞 喜納 昌吉)







レムットは歌が終わると静かに父の背に寄り添った。





「I love father・・・・」











そう言った気がした。







はじめてレムットの涙を見た。



今まで気丈に振舞っていたが、どれだけ心細いことだろう。













私はその時思った。


なぜ彼女が最初に質問したのかを。







「Do you like flowers?」(花はお好きですか)



 泣きなさい 笑いなさい



  いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ








全ての物事には始まりがあって、終りがある。





楽しいことだってそう長くは続かない。





でも、悲しいことや辛いことだって一緒。





そう長くは続かない。





どんなことでも最後はHAPPYにすればいい。





最後に花を咲かせればいいのだ。








それは、レムットが無言で語るメッセージだった。







みなさん。

もしも、現在、嫌なこと、辛いことがあなたを襲っていても、大丈夫。

それは長くは続かないから。






そして、その「困難」はあなたを「今」以上に高めてくれる試練なのではないでしょうか。

その試練は「あなただから乗り越えられる」もの。





だってそれは



今のあなたが





さらに輝くための





試練なのだから。







大丈夫。



あなたなら。

















このコラムは受験には役立たない。



このコラムは勉強には役立たない。



しかし、みなさんにご理解頂きたい。



しかし、みなさんに知って頂きたい。






アジアに生きる同じ10代の人間からのメッセージを。




彼らは「今」を必死に生きているのです。





そして、その姿は輝いています。





それは、あなたも同じです。




「今」を我武者羅に生きるから、「輝かしい明日」がやって来るのです。







今日一日を必至に生きましょう。








今回もまた長々とお付き合い下さいましてありがとうございました。

# by taku_kuma_2 | 2008-03-24 04:42 | ロバ吉  

社会科連載コラム 第15話

ロバの目
第15話 幸せの基準




みなさん。お久しぶりです。高等部好評休載ブログの「ロバの目」のお時間です。
この度、みなさまのご支持のお陰で「ロバの目」がブログの世界から飛び出し、本として出版されました。限定発売のため、もうじき私のストックが無くなってしまいそうです。もしも・・・・。
万が一・・・。購入をご希望の方は、かわしん大内校・宮野校・白石校の先生に申し出て下さい。

このコラムは受験には関係ないかも知れない。


テストの点に結びつかないかも知れない。


しかし、生きていく中で知っていて欲しいのです。


「世界」という存在を。


そして、生きるということを。


今回の舞台は中国の貴州省です。




この貴州は中国の中でも異彩を放つ地域である。

漢民族が9割の中国で、この地域には古くから少数民族が暮している。

最大の少数民族はミャオ族(モン族)で、プーイー族、トン族、トゥチャ族などがこれに続く。



最近まで交通の便が悪かったため民族独自の伝統文化が色濃く残る。


今日でも、棉を育て実から糸を紡ぎ、機を織る。

その布を藍で染め仕立てるといった自給自足の生活を続けている。

日本ではもう見ることのない風景がここにある。

農作業も動力を使わず、牛や水牛を使ったり人力で行う。






彼らに話を聞くと皆一様に口をそろえて言う。





私たちは手足がそれぞれある。

神様が与えてくれた大切な手足だ。

その足で大地を踏みしめ、その手で季節を感じる。

自然が私たちを生かしてくれるのだ。





“便利さだけが、幸せの基準ではない”








そんな彼らと出会ったのは今から4年前の3月。

私はこの旅で、ある家族にであった。






大学生の時、私は中国からの留学生と親しくなった。

同じ大学ではなかったが、アルバイト仲間だった。



私は、長い休みが取れるとよく旅にでる癖がある。

次の休みは、中国に行きたいと思っていた。

そのことを留学生の彼に告げ、中国でのお薦めの土地を聞いた。





「貴州がオススメだよ。日本でいう奈良みたいな雰囲気かな?」






それから、2ヶ月経った3月。

沖縄ではそろそろ夏が来そうな日差し。

私は旅にでた。











ご存知の方もいるだろうが、私の旅はリッチではない。

リュックにの中は、ポロシャツ1枚に、ボロ布同然のタオルが3枚。

飛行機代を除けば2万円だけを持参。

あと夜が寒いので、防寒用の長袖ジャージ1枚。

あとライターに○○○。とそれを入れる皿。

これだけ。

のこりは現地調達。




たまに、デジカメやノートを持って行く。

基本的に言葉は通じないので、ボディーランゲージが主流。

最初は怖いが、慣れれば楽である。

高ぶる感情だけで行動する。

そんな安易な考えでの旅も良いもでだ。





貴州省の省都、貴陽市。

名前の由来が面白い。

ここは雨の日が多く、古来より太陽が貴重だったため「貴陽」となった。

そのため、三日続けて晴れる日はないという。

だが、この雨なくして、貴陽の恵みはない。

山を切り開き棚田で稲を育てる。

これも毎日毎日適度に降る雨のおかげである。







そこには、水墨画の世界が広がっていた。


山裾が狭く、天に向かってそびえる山。

長く蛇行しながら流れる川。

社会科連載コラム 第15話_c0132907_426748.jpg













今回、この貴州を訪れたのは知人の留学生に薦められたのもあるが、それだけではなかった。






旧暦の3月14日、15日に行われる祭りを見るためである。

これはミャオ族の恋愛のお祭り。

「姉妹飯節」 を見に来たのだ。



村の娘たちは水牛の角を模した銀色の冠をかぶり、龍などの意匠を凝らした自慢の銀飾りを身につける。

足の甲まである刺繍を施した長いスカートをはき、銀飾りの音を響かせながら歩く。


祭りの際には、伝統楽器である芦笙、銅鼓、木鼓などの鳴り物を吹いたりたたいたりし、踊る。

そこで、女性と男性がお目当ての相手を探す。

上手くいけば、結婚へ。

日本でいうところの「村人総出の合コン」だろう。






私がミャオ族の村に着いたのは、祭りの3日前。

もう辺りは薄暗くなっていた。

一日の労働を終え、家路につく村人たち。


省都の貴陽から公共バスで1時間、バス停から歩いて1時間。

ようやく近くの宿屋に到着した。


この時期は他の観光客も多い。

日本人も何名かいただろうか。





その日は、流石にくたびれていたので、村を徘徊することはなかった。

翌朝。

私の朝は早い。




4時に目が覚めたら、即行動。

趣味の徘徊が始まる。







社会科連載コラム 第15話_c0132907_4282187.jpg










朝の市場で品物を並べるおばさん。

山の棚田に向かう男たち。

彼らは、一様に明るい。

私が会釈をするとニコっと笑顔を返してくれる。




この笑顔との出会いがあるから、朝の徘徊はやめられない。

旅の醍醐味のだ。









実のところ、私の旅は終始、この徘徊活動である。

朝、昼、晩と歩く。


疲れたら、木陰で休む。


体力が戻ればまた歩く。


これの繰り返し。


この何も徘徊の中で、沢山の人に出会う。


言葉は分からないが、大体は口調、身振り、目線で分かる。




出会うのは何も人ばかりではない。



刻一刻と姿を変える自然。



雲間から差し込む太陽光。



木々のざわめき。



川のせせらぎの音。



これら自然の音は私に安らぎや勇気を与えてくれる。



そうやって一日を終えることが、どれだけ素敵なことだろうか。














翌朝。


また私の徘徊活動がスタートする。


昨日は、村の女の子に一人も出会わなかった。


明日には祭りがあるのに、どうしたものかと不思議に思っていた。


と、そのとき。










いた。









いたのだ。









なんだか心が弾んできた。


そして、私はいつものように、会釈をした。


すると














逃げられた。



・・・・・。






あれ?






恥ずかしい年頃なのだろうと私は自己解釈(自己弁明)しまた、徘徊を続けた。


昼過ぎ。


その日はカラっと空が晴れていた。


私の心もなんだか晴れ模様。


川原の木陰で宿屋からもらった弁当を広げた。


菜っ葉の炒め物と、胡桃と炒飯。


素朴で旨かった。


今朝起きた不思議な事件もすっかり忘れていた。








竹篭に沢山の洗濯物が私の目の前を通り過ぎていった。


ユッサユッサと左右に大きな竹籠をゆらしながら、少女が川原に洗濯をしにきた。


その様子を私は静かに見ていた。


籠を下ろした少女は、こちらに気づき、ハッとした様子で私の方に歩いてきた。




「Chinese? South Korean? Japanese?」


突然英語を話し始めた。


あまりに唐突だったので


「日本!あ、Japanese.」


と間抜けな返答だった。





少女は間髪入れずに


「ああ。今朝のお兄さんですね。私にお辞儀しましたね。」


そう言って笑顔を見せてくれた。


よくよく見れば今朝の不思議少女だった。


「最近では観光客の人が多いから、私たちも話せるようにしてるのです。」


なるほど。それにしても片言ながらも日本語が上手い。













色々と話をして、気づいたら私は、少女の洗濯物を手伝っていた。


大体、この村で観光客相手に商売をしている人は、村の言葉以外に少なくとも1ヶ国の言葉を話すようだ。


少女の家は農家だが、市場でお土産などを売るので英語と日本語を身につけたようだ。


彼女の名前はパオトー。(私は上手く発音できないが・・・)


年齢は私と一緒だったので驚いた。


身長から中学生くらいだと私は思い込んでいた。



今朝、何故逃げたのかを私は彼女に質問してみた。


理由はこうだ。


ただ単純に村の男性とあまり話しをしたことが無い。


恥ずかしかったから逃げたそうだ。


私は、安堵した。









帰り際、こうパオトーに聞かれた。


「明日、姉妹飯節(祭り)に来るのですか?」


「ああ。もちろん行くよ」


彼女は会釈をして川原を去った。
















翌朝。



残念ながら曇り。




村は爆竹や銅鑼の音が鳴り響いていた。


中国では祝い事や祭りでよく爆竹を鳴らす。


しかし、この日は喧しかった。





祭りのメイン会場の村広場は人間が多すぎた。


10分ぐらいしたら窮屈になったので高台の展望台から祭りを見ることにした。


せっかく楽しみにしていた祭りなのでしっかり終始見ていたい。




高台からは会場がよく見えた。


そこからの景色は最高に美しかった。


棚田には菜の花の絨毯が広がっていた。


私の幼いことの田舎の風景がそこにあった。


思わず、感情が高ぶり涙ぐんでしまった。



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シャリシャリーン。シャリシャリーン。


小さな金属片の音がこちらに近づいてきた。


誰かが歩いてくる音もする。


振り返って私は驚いた。





すると、相手も驚いていた。





「あ"!」






そこには昨日のパオトーがいた。


ミャオ族の伝統衣装を身にまとった美しい姿に私は圧倒された。



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(左:パオトー)













「驚いた。ロバさんだったのね。」


彼女は、一緒に来た友人に昨日のことを話し始めた。





この日、村を上げての祭りなので観光客にも祝い酒が振舞われる。


私はパオトーの友人から、水牛の角で作られた杯で祝い酒を頂いた。











んんん!辛い。


それは貴州の茅台酒(マオタイシュ)だった。

無色透明のこの茅台酒は中国で国賓を遇するときには、「乾杯の酒」として必ず用いられる銘酒である。


しかし、強い。


スピリッツの53度は喉が焼ける。



だが、私は踏ん張って杯に注がれた茅台酒を飲み干した。


パオトーたちから拍手が出た。


「外国人で飲む人少ないのに。」






祭りも終焉を向かえたころ、私は彼女に聞いてみた。


「今年はどうでしたか?」


「わたしは祭りに参加するけど、男性はまだ探さないんです。」


どうしてだろうか?


この村では正月の次に神聖で大切な祭りなのに。







それには、パオトーの家の事情が深く関わっていた。














友人たちが帰ったあと、私はパオトーの家に招かれた。


この村では旅人は幸福をもたらすとして大切にされるのだ。


日本ではあんまり大切にされてない(?)ロバなのでとても嬉しかった。





家にはパオトーの父親と弟。



母親は2年前に病気で亡くなったそうだ。



土間で父親が夕食の準備をしていた。



菜っ葉の炒め物に卵炒飯。



いい香りが家の外まで漂っていた。



しかし、その父親の姿に私は目を奪われた。



左手が肘から無いのだ。



父親は昨年道路工事の際、重機に腕を挟まれ左手を切断してしまったのだ。



しかし、その料理の手際良さは関心するほど無駄が無い。



下手な主婦より上手い。









パオトーは言った。


弟はまだ8歳。


今、他家に嫁に行けば片手の父と弟だけの暮らしになってしまう。


弟が一人立ちできるようになったら嫁入りを考えるそうだ。








親父さんの料理は旨かった。


その日は、パオトーの家に泊めてもらった。


パオトーとは同じ年のせいもあったのか、会話が弾んだ。


彼女は通訳となって、親父さんや弟とも沢山会話ができた。


夜も深け、親父さんや弟はくたびれて眠ってしまった。


寝る間際、パオトーは私に晩酌をよこした。


その晩にパオトーが言った一言を私は忘れない。

   




豊かな田園風景が広がるこの村にも、中国の開発の手が伸びてきている。


先祖伝来の棚田は潰され、商業ビルが町に多く立てられていた。




「私の父はよく言っています。」


パオトーはしっかりとした口調で話し始めた。





私たちは手足がそれぞれある。

神様が与えてくれた大切な手足だ。

その足で大地を踏みしめ、その手で季節を感じる。

自然が私たちを生かしてくれるのだ。





“便利さだけが、幸せの基準ではない”





そして、彼女はいった。






お金で物は買えるけど、消えてしまった故郷を買うことはできない。


私たち民族はこの土地が大好きです。


山も川も全てが村の宝です。


先祖たちが残してくれたこの故郷を子孫に残すために、今日のような祭りがあるのです。


今存在する日常は当たり前ではないと思います。


村を守ることが私たちの使命だと思っています。


そしてそれが私の幸せです。















昨今、日本では「勝ち組」「負け組」という言葉が多く取り上げられている。


経済的余裕のある人間が人生において「勝ち組」と称される。


果たして、その論理は正しいのだろうか。


確かに、経済的余裕があれば、好きなことは出来る。


しかし、その幸せは金銭の尺度での範囲でしかない。


金銭の尺度(経済的余裕)が、全ての幸せなのだろうか。







これから社会に出る諸君へ。


この論議に結論はまだない。


まだ無いから考えるのだ。


考えることを止めてしまえば、それは退化と同じ。


一緒に考えよう。みんなで考えよう。そしてそれは、皆が同じ答えでなくて良い。


だって、あなたの幸せの基準は、あなたの基準でよいのですから。




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# by taku_kuma_2 | 2008-03-17 04:45  

社会科連載コラム

ロバの目

第14話誇り 


「不安はないのですか?」






毎回、同じ質問をされる。






私は、旅が大好きだ。








旅が大好きな私からすれば、その質問の返答に困る。











「お金はどうするのですか?」




「病気や怪我について心配になりませんか?」

















正直な話。






不安はある。





隠しようもない、紛れも無い事実だ。








しかし、それ以上に希望や夢が私にはある。










だから私は旅にでるのだ。














大金なんてない。











最低限のお金と計画とマナーがあれば、問題ない。









しかし、それだけでは不十分だと私は感じる。











大きな「断固たる決意」。






それが、私の原動力だ。














今回はラオスが旅の舞台です。




大学の研究で私はラオスのとある村を訪れた。


6月のラオスは蒸し風呂状態だ。


内陸国のため、海からの季節風が来ない。


そのため振り続ける雨の湿気がなかなか逃げない。


野外の日陰に座っていても、額から汗がにじむ。


背中を汗がツーっと流れる。


村の男性は上半身裸だ。


しかし、不思議なことに匂いがでない。


それだけが、唯一の幸せだ。




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正面の建物が研究小屋















私は村の集会場の隣にある無人となっている民家を借り、研究論文をまとめていた。


集会場を中心に村の幹線道路が形成されている。


だから、村人が暇になるとプラっとよく立ち寄る。


集会場の真向かいが、村で唯一つの小学校がある。


日本の小学校はコンクリート造りの重厚な造りだが、ラオスの小学校は違う。



高床式倉庫みたいに、地面から1m高く床が作られている。


床は竹を上手に編み、その上に板を打ち付けた簡素なものだ。


屋根もまた、竹や板でつくられている。


しかし、雨になると、天井から雨漏りがする。


私に言わせれば雨漏りという状態ではなく、滝だ。


普通の民家ではそのような事態は無いのだが、学校にかける予算が少ないせいだと、村人言う。


要するに、教育にそこまで投資できないのが、村の現状だ。





雨の日は学校が休みになる。


そんな日は、きまって小学生は私の民家にやってきて研究の邪魔をする。


彼らには、邪魔をしているという気は無いのだろうが、私は作業が進まない。





何をしているかって?





みんなで工作をする。


この村の周囲にはたくさんの竹が生育している。


その竹を使って、籠を編んだりして内職をする。


普段は皆、それぞれの家出行う。


しかし、3日前に私が「竹とんぼ」を1人の子どもに作った。


そうすると、うわさを聞きつけて村中の子どもが、「竹とんぼ」の作成を依頼してきた。


初めは、私も楽しく作業したが、正直飽きた。


そこで、私は方針を転換した。


2日前に「竹とんぼ講習会」を開いて全員に作り方を伝授した。


そうすると昨夜からと私の研究小屋に泊りがけで、竹とんぼを作る子も現れた。




雨はその後、2日降り続いた。




3日目にようやく太陽が私たちの前に姿を現した。


その日の朝、小学校の先生に呼び出された。


子どもたちが一緒に竹とんぼを飛ばしたいから、飛ばし方を教えて欲しいと言っているそうだ。


なんせ、先生も始めて見る竹とんぼ。


私は授業に乱入し、「竹とんぼ教室」を開講した。


子どもは②見込みが早く、中には10mも飛ばす生徒も現れた。




学校が終わり、子どもたちは一目散に集会場の前の広場で竹とんぼで遊んでいた。


その子どもたちの無邪気な笑顔は、6月の太陽さえ忘れさせた。





夕方。


子どもたちはそれぞれの家に戻った。


しかし、一人、女の子がまだ竹とんぼを一生懸命に飛ばしている。


竹とんぼは空に美しい弧を描きながら飛んでいた。


私は少女に尋ねてみた。


「おうちの人心配しない?」


少女は言った。


「おとうさん、おかあさんいないの。今はおじさんの家で暮らしているの。おじさんは仕事でいつも遅いの。だから、いつも遅くまで遊ぶの。」


それが、当たり前のように少女は自然にそう言った。


「ねえ。もっと高く飛ぶ方法教えてよ。」


少女があまりにもせがむので、一緒に研究小屋で改良作業を行った。


皆さん、知っていますか?


竹とんぼの羽の両端に丸みを持たし、羽を内側に軽く曲げると20mぐらいは高く飛ぶのです。


早速、少女もチャレンジ。


5分後。


あっという間に少女は、妙技を会得した。


その時の満面の笑み。私も出来たよと言わんばかりのニンマリ笑顔。


そんな笑顔を見ると私は心が温かくなる。


少女の名前はペクン。


次の日は友人を研究小屋に連れてきた。


「昨日のお礼にケッチョ(白玉団子)を作ってあげる」と言って私にご馳走してくれた。


私は彼女が見せる笑顔に出会うため、旅を続けるのかも知れない。


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左がペクン。右が近所の友人。もしかしら恋人?












あとで、聞いた話だ。




少女の両親は彼女が生まれた途端に、貧しさゆえに彼女を捨て、夜逃げしたそうだ。

そして、彼女の叔父が育ての親として引き取ったのだ。





私が旅をする理由。







私の夢はこの世界から「貧困」「差別」を無くすことです。


人はその夢を笑うでしょう。


「そんな実現不可能な夢をもつなんて無謀だ」と実際に笑う人もいました。


しかし、私は大真面目です。


私は、こうして皆さんに文字ではありますが、出会うことができました。


1人では実現の可能性の薄い望みまも知れません。


しかし、たくさんの人に認知され支持されることで、小さいですが、大きな1歩を確実に踏み出すことが出来るのです。







以心伝心という言葉があります。





私の沖縄の友人が次のようにこの言葉を解説しました。





口では上手く伝えられない。表現できないような想いがいっぱいある。

でも人間って目をつぶっていても想いを共感することができる。

心のキャンパスで感じ取れるテレパシーがある。

人は素直になることに臆病になったり、不器用で表現できない時もある。

でも、心でつながれば、やがてお互いの距離が縮まる。

そして、笑顔が溢れる。

以心伝心。すごい魔法の言葉だね。





彼はいまやミュージシャンとして活躍しています。


そんな友人の言葉を信じ私は、旅を続け「世界」の断片ではありますが、読者の皆さまにお伝えしようとしております。



少女は、両親のことを聞かされた時、どんなに苦しかったでしょう。


どんなに自分の運命を呪ったでしょう。


私には計り知れません。








こんな世界を少しでも変えたい。


こんな不幸を少しでも無くしたい。







私の決意は、今でも揺らぐことはありません。





私は、強い人間ではありません。


挫けそうになる時もあります。止めてしまいくらい辛いときもあります。


ですが、「断固たる決意」が私を支えてくれます。












断固たる決意。









それは私の誇りなのです。

# by taku_kuma_2 | 2008-01-22 05:21 | ロバ吉