社会科連載コラム

ロバの目

第18話 勇気





「せんせー私頑張る」




その声がとても私の頭の中でダブり共鳴した。













今は、1学期期の末試験が始まろうとしている。


いつものように社会科の質問が連日連夜続く。


平日は中学生をメインにしているから、高校生の質問はどうしても土曜日や日曜日になってしまう。


「ロバさん、いつなら質問できる?」

「土曜の晩か、日曜日やな。日曜だと、質問が朝からあるから・・・・・夜の7時からなら1時間できるぞ。」

「わかった、その時で!」



という具合だ。

すまない。高校生諸君。

時間は限られているのだ。

時間だけではない。

何をするにしたって、「限り」というものがある。










私が、大学3年の夏。





大学の前期試験が全て終わった。

同時に、私の2週間の不眠不休の戦いも終わった。

この開放感はたまらない。思わず、みんなでガッツポーズ。



私は早速、旅の準備にとりかかる。

とは言うもの、リュック1つで片付くほどの荷物。

そう時間はかからない。

時間もかからなければ、お金もかからない。

旅は飛行機なんて使わない。

もっぱら、船か電車かヒッチハイク。



沖縄から3日かけてバングラデシュのダッカに到着した。

陸に着くと、まだ波に揺られているような激しい「陸酔い」に必ずあう。


そこで登場するのが「酔い止め薬」だ。私は乗り物酔いはしたことが無い。

いつも陸酔いだ。


「酔い止めを陸地で飲むなんて・・・・。なんて苦労な旅だ。」







そう思う人もいるだろう。

しかし、私は面白い。面白いというよりワクワクする。

薬を飲むとき、いつも思う。

「あー。また始まった。今回の旅はどんなことが待ってるんだろう」

そう思うともっと楽しくなる。





今回はバングラデシュの農村地域の生活飲料水確保の工事と調査をするために来た。


優しく言うと「村に井戸を掘る」っていうこと。


水道なんてない。


別に給料が支給されるわけではない。

楽しいから行く。それだけ。




実は私の旅にはいつも2、3人のパートナーがいる。

しかし彼らは、いつも決まって飛行機だ。

行き帰りは別行動。

その分、誰にも気兼ねすることなく自由奔放で快適な旅が満喫できる。

別に彼らが嫌いという訳ではない。


村の公民館を宿舎に現地スタッフと合わせて、総勢11名。

私の役目は村民に井戸の扱い方の指導と健康調査。




井戸を掘り始めて5日。




調査と作業は無事に期限以内に完了した。

この地域は今まで、生活飲料水を得るために隣の集落なで行かなくてはならなかった。


隣の集落といっても10kmだ。

この村は山間部に位置し、険しい山道を進まなくていけない。

女性たちは日の出前に家を出発し、3時間かけて家に戻る。


しかも、汲んできた水はとても飲める水とは言いがたい。

茶色く濁り、不衛生だ。


日本みたいに家庭に蛇口があり、ひねれば水が出るなんていう家は、ここにはない。




そんな村に井戸が出来た。


村人は大喜び。

大人も子どもも井戸の水を掛け合い喜んでいる。



村の井戸掘りが終わっても、私は村に滞在した。




私には理由があった。




正確にいうと理由ができてしまった。




「村に井戸を掘るために日本人が来る」


その情報を聞きつけて1人の女の子が私たちを訪ねてきた。


彼女の名前はアルー。

アルーは近くの街で日本語を学んでいる大学生だった。






「日本の大学で農業や工業の技術を学びたい」


だから日本語を学びたいと言っていた。




大きな夢のために今、何をすべきかを模索した結果の答えだった。


その日から毎日、私とアルーの日本語生活が始まった。


最初は私が聞き取れないほど、ひどい訛りだった。







しかし、彼女は頑張った。





1週間後、彼女の話の内容は理解できるほどに上達した。



私が村を発つ前日、アルーは私に言った。




「家族は日本語の勉強など無理だと私に言いました。でも私は日本で勉強したいです。」


「私は日本で勉強して、村のために頑張りたいです。」


大きな瞳を私に向け、彼女はそう言った。


その瞳には強い意志が宿っていた。






翌日、ダッカ行きのバスに乗り込む時、アルーが私に言った。










「せんせー私頑張る」




「元気でいて下さい」







大きく手を振りながら彼女は叫んだ。



その姿を今でも鮮明に覚えている。



満面に笑みを浮かべ、見送るアルー。





私も大きく手を振りながら、小さくなっていくアルーを見つめていた。









それから1年後。



アルーはバングラデシュの大学を卒業し、大阪の大学に見事合格した。





実はアルーは私より2歳年上なのだ。













私は今でも覚えている。


「せんせー頑張る」


あの言葉を思い出すと、私も負けられないと奮起させられる。


必死に、一つのことを頑張る姿というものは、時に他人に勇気を与える。


そして、自分がもっとも輝く瞬間だ。


今日より明日を輝かせるために、我武者羅に今を生きよう。


さあ!期末試験もがんばれよ!



以上!
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# by taku_kuma_2 | 2008-07-04 03:16 | ロバ吉  

社会科連載コラム 第17話

ロバの目
第17話 一度でいいから・・・。

みなさん。

こんにちは。

「ロバの目」のお時間です。

このコラムをご覧になられる際に、ご注意して頂きたい点があります。




受験には関係ないかも知れない。


テストの点に結びつかないかも知れない。


しかし、生きていく中で知っていて欲しいのです。


「世界」という存在を!


今回はカンボジアが舞台です。








カンボジアは20年続いた内戦から、ようやく復興の光が見えていた。



国民生活にも平穏が訪れた。





カンボジアの王都、プノンペン市。



真新しいアスファルトに朝陽が輝く。



街には活気がある。



市場から運ばれた魚や野菜が、店頭の見世棚に並ぶ。




人や車の往来も激しく、自転車のベルの音、車のクラクションの音があちらこちらで聞こえる。




確実にこの国は発展を続けている。








しかし、それはこの国のほんの一部でしかない。


街を歩いて気づいたことがある。




それは路上生活者の多さだ。





内戦で同じ民族が殺しあった。



家を失った者。



財産や職業を失った者。



愛する家族を失った者。






戦争からは何も生まれない。






ただ、唯一生まれるもの。






それは悲しみだけだ。










プノンペン市内の道路沿いには数多のブルーシートのテントが存在する。



皆、内戦で家を失った者たちの家だ。



ストリートチルドレンと呼ばれる親のいない子どもたちが、路傍で眠っている。



道行く人は、その子らを見ないように行き交う。



まるで暗黙の条例があるかのように、誰も見向きもしない。




その子らの手足は泥にまみれ手足は傷だらけ。



中には、シンナーなどの薬物が入ったビニール袋をくわえている子もいた。



空腹をしのぐため、わざと脳を麻痺させるのだ。



そうでもしないと、彼らは1日を耐えることができない。







そう。



これが、この国の現実なのだ。





この王都プノンペン市の郊外にステン・ミエン・チャイという地域がある。



ここは王都のゴミ捨て場。



フィリピンのスモーキーマウンテン同様、広大な敷地に立ち入ると煙が視界を奪う。



雲一つない晴天なのに、ここでは空が灰色だ。



10m先はまったく見えない。




そして何より私を襲ったのは強烈な悪臭。



肺にその空気が入ったら最後。



吐き気が止まらない。




目を凝らすと、多くの人が煙の中でゴミを拾っている。



食べられそうなもの。



お金になりそうなもの。



それぞれを探している。



4歳ぐらいの子どもたちも大きなズタ袋を担ぎ、かぎ棒を持ちゴミを拾う。



ここでは戦争が続いている。



生きるために、大人も子どもも関係ない。






私は、8歳ぐらいの男の子に出会った。



足の先から頭まで真っ黒。



裸足で、手を見ると爪が割れ、傷だらけだった。




この少年と私は仲良くなった。



私が悪臭で吐き気を催している時、傍らで笑っていたのが彼だ。



彼は笑いながら私に近づいてきた。



「大丈夫かい?」



私が手のひらを横に振って鼻をつまむと、さらに笑われた。









私は彼に聞いてみた。






「あなたの夢はなんですか」








彼は少しはにかみながら答えた。





「一度でいいから、おなかいっぱいになるなまで食べてみたい」








これはよく耳にする言葉だ。


この子だけでなく、「一度でいいから、ご飯をお腹いっぱいに食べてみたい」と子どもたちはよく言う。



それは、本当に食べ物がないからなのだ。



だから「お腹いっぱいの食事」が彼らの夢なのだ。




ここで、暮らす人はプノンペンでも最下層の人々だ。



大多数の家庭には父親がいない。



母親と子どもが生きるため、必死になって働く。



この男の子も夜明けから、日没まで1日10時間以上働くんだと言っていた。



ビンや空き缶などをゴミの中から拾い、街のスクラップ工場に売って現金を稼ぐ。



1日働いても50円にもならない。



1食分を稼ぐのがやっとなのだ。






私は体力に自信がある。



だから子どもたちと一緒になってゴミを拾ってみることにした。



そうしたら、2時間も持ちこたえることができなかった。



強烈な悪臭のせいで、胃の中にあるもの全てを吐いてしまった。



それを子どもたちはおかしそうに笑って見ていた。





日本の子どもを連れていくだけで、泣いてしまうだろう。



大人でも2時間もたない。



だから、ここで働く子どもたちの姿を見ると自然に頭が下がる。



ゴミ捨て場を歩くと、1人の少女に出会った。



ゴミの中で空き缶を黙々と拾い続ける姿。



その姿を見ていると涙が自然と出てきた。



彼女はまだ4歳だった。



4歳の少女でも働かないとここでは生きて行けない。



彼女には母親がいた。



けれど、母親の稼ぎでも人が1食分を稼ぐことはできない。



だから、この少女が生きようと思ったら自分で稼ぐしかない。









しかし、それでも生き抜くのは本当に難しい。












彼女は半年後に亡くなった。








本当に理不尽だと思う。








生きようと一生懸命なのに、生きられない。





そういう場所なのだ。










ここの子どもたちは明るくで元気だ。



でも皮膚病や目の病気、内臓疾患など様々な病気を誰もが持っている。



病気のない子どもは誰一人としていない。



元気な笑顔を見ると、余計に辛くなった。




涙が流れた。



止まらなかった。




彼らが必死に生きている姿をみて泣き崩れた。



無様な格好をゴミの中でさらし、大声で泣いた。



この子らに比べ、自分の人生が恥ずかしく思えた。





明日生きているかも分からない。



でも、今日生きていることを誰かに知ってもらう。



朝起きてお互いに、生きていることを確認し合う。



それが、ここでの朝の日課なのだ。







悲しい。





それを聞いくと、心が握りつぶされてように痛くなる。




カンボジアでは中古の靴が100円程度で売られている。



でも、その靴さえ買えない。



だから裸足かサンダルでゴミの中に入っていく。



すると、ガラスの破片や鉄くずで足を切ってしまう。



そこから細菌やウイルスが侵入し、感染症や破傷風などの病気にかかり死んでいく。




そういう子がほとんどだ。




物に溢れ、食さえも粗末に扱い、ありがたさを知らない国がある。




その一方で、ゴミの中で一生懸命に働く子どもがいる。



一度もお腹いっぱいに食べることなく彼らは、死んで行く。



しかし、彼らはいつも死と隣り合わせだが、「生きる」という希望を捨てずに懸命に命を燃やしている。


我武者羅に命を生きている。





彼らは自分の死にざまを痛いほど知っている。



だからこそ、「今日」を必至に生きようとしている。



同じ1日は2度とない。



過ぎ去った時間は、戻らない。



だからこそ、「今日」を必至に生きようとしている。








私たちは「今日」という1日にどれだけ、魂をこめて生きているだろうか。









このコラムは受験勉強には役立ちません。



このコラムはテスト勉強には役立ちません。


しかし、生きていく中で知っておいて欲しいことなのです。


長々とお付き合い下さいまして、ありがとうございます。


ご意見、ご感想等がありましたらコメントをよろしくお願い致します。



                           うちやま ロバ吉
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# by taku_kuma_2 | 2008-04-08 04:50  

社会科連載コラム 第16話

ロバの目

第16話 花

みなさんロバの目のお時間です。

どうですか?このコラムは?

このコラムはやはり受験勉強や普段の生活では

まったく役立たないことばかりです。

たしかに、役立たない。



しかし、知っていて欲しいのです。

これから、高校、大学、社会へと大いなる夢を羽ばたかせようと

今を生きる諸君たちへのメッセージです。



それは、私からのメッセージではありません。

アジアの同じ10代の子どもたちからのメッセージです。 




それでは、今回もアジアで必死に生きる子どもからのメッセージをお届けします。














タイの北部チェンマイ。


ここチェンマイは首都バンコクに次ぐ第2の都市と言われている。


その歴史は古く、13世紀までさかのぼる。


そのころタイはアジアの大国「元」から侵攻に苦しんでいた。


元からの進行を防ぐべく、当時の国王は自然の要塞チェンマイを首都に選定し、市内を四方に囲む城跡を建設し、元軍を退けた。






それから約700年の月日が流れた現在。


市街地は、四方を堀に囲まれた旧市街と、その周囲に広がる新市街からなる。


かつては堀の内側を城壁が囲んでいたが、道路建設のために取り壊され、今ではターペー門などいくつかの門がその名残を留めているのみである。






私は、大学の研究調査でタイを訪れていた。


農村における教育実態を調査するためだ。


タイは1960年代から教育水準が高まった。


国民の識字(文字を読み書きし、理解すること)は今では95%以上である。


これは先進国と同じ数値である。


アジアの中でインド、中国、シンガポールをも上回る数値だ。


しかし、これには裏がある。


1960年代までのタイでは、麻薬、賭博、売春などの違法産業に従事する国民が大半だった。


その要因は「国民全体の貧富の差が激しいため」だと考えられる。


改善策としてタイは日本と同じく義務教育の期間を9年間にした。


50年代までは識字率が40%以下だったのが、60年代には95%という驚異の成長を見せた


それに伴い、違法産業も衰退し始めた。









教育は貧困を撲滅させる手段なのだ。



諸君、教育にはたくさんの未来が詰まっているのだ。














しかし、それは都市での話。


農村ではまだまだ発展途上。


学校さえない村もある。


今回の調査はどれくらいの子どもが1日に勉強している(できる)のかを調査した。


都市部では平均4時間だったが、農村では平均1時間未満だった。


それは家計を支えるために働いているからだ。


タイの子どもたちは必至に家族を支えていたのだ。


それが違法産業だとしても。


男の子は畑仕事などの力仕事に従事する。


違法産業に従事しているは9割が少女たちだ。









そのほとんどが売春だ。


子どもたちは教育を受けていないから「性」のことは知らない。


でも自分たちの死ぬ姿は知っている。


それはエイズが発病して村に送り返されるときだ。








諸君はそんな経験はないだろう。


何故だか知っていますか。













それは君たちのお父さん、お母さんが必死に君たちに勉強させてくれる時間を与えているからなのです。








改めて、その事を感じた。











調査もひと段落つき、私は久々に市街地を訪れた。




チェンマイの屋台で食事を済ませ、私はターペー門で花売りの少女を見かけた。




身長は140cmぐらいの小柄な少女だった。






少女は私に気づき、近寄ってきた。




ニッコリと笑顔で


「Do you like flowers?」(花はお好きですか)


と少女に突然声をかけられた。


おかっぱ頭に灰色のTシャツ。


赤色の半ズボンがよく似合っていた。






だいたいタイの花売りは



「Please buy the flower. 」(花を買って下さい)




というが、彼女は違った。



私は思わず




「Yes.I like flowers very much.」(うん。花は大好きだよ。)










そう答えた。




正直、その時の私は、花が取り留め好きというわけでは無かった。







だが、彼女の笑顔が私にそう言わせた。




私の返事に少女はまた満面んぼ笑みを浮かべた。







私は、少女の隣にそっと腰をかがめた。






道端に腰を着けたくなかった。

ターベー門の前には、生ゴミやし尿があちらこちらにあり、衛生的に良くなかった。








私は腰をかがめ少女に


「How much is this flower?」(この花はいくらなの)



「2 Baht」(2バーツ)





当時1バーツが2.8円


少女の売る花は1本5.6円。









日本では一輪で100円。


安すぎる。







少女は4本の花を持っていた。


私はその4本とも買った。






実はこの花、家での鑑賞用ではなく仏像への献花なのだ。


タイは仏教国だから毎日、寺院では地元タイ人の参拝が絶えない。


その参拝時に仏像へ献花をするのだ。








私は少女に近くの寺院に案内してもらった。



お互いに英語はへたくそなので、ジェスチャーだ。













無事に参拝と献花も終わった。

















なんだか私は、その時少女と別れるのが名残り惜しかった。




唐突に







「How old are you?」(あなたは何歳ですか。)





少女は、少し驚いた様子で







「I’m 16 years old.」 (私は16歳よ。)







その身長、体格からとても16歳の少女には見えなかった。











きっとこの少女は満足な食事を撮れていない。


途上国の国には見た目には小学生ぐらいでも15歳、16歳という子どもが多い。


それは栄養不足なのだ。


人間の成長期に満足な食事ができないとこういう現象がおこる。






少女はやせ細った手で私に握手を求めた。


今にもポキンと折れそうな腕。


その腕には骨と皮しか付いていない。


そんな腕で今日も彼女はしっかりと仕事をしていたのだ。









私は眼の裏が熱くなった。










「My name is Roba.」(私の名前はロバです。)


軽く眼を抑え私は彼女と握手した。






彼女の名前はレムット。



私は彼女とここで別れるのが益々名残り惜しくなった。



私は、レムットに家族のことを聞いた。


勿論、片言のへたくそな英語。




レムットはその場にしゃがんで地面に絵を描き始めた。




まずはレムット自身。


その隣に両親を描いた。



しかし、次の瞬間




彼女は母親の絵を手で消した。








彼女の弟を出産するとき、母子ともに亡くなったそうだ。




気丈に話す彼女。





私は空を見上げた。




彼女はその後も絵を描いて私に家族を紹介しようとするが、私は絵を見ることはできなかった。




絵を見るために、うつむくと涙がこぼれそうになる。











彼女は今、家に父と2人で暮らしているらしい。



姉はいるが、今はバンコクで働いている。




職業は





「プロスチチュート」







その時、私にはそれがどんな職業なのかわからなかった。


その英単語を聞いたことが無かった。




「prostitute」


英単語ではこのように書く。





この話はまた、別の機会に書きます。








日が傾いてきた。


そろそろ、私も調査チームの宿舎に戻らなくては仲間に心配される。




しかし、ここの場所がいまいち分からない。


そこで、手持ちの地図でこの寺院の場所をレムットに訪ねた。




ここから宿舎までは約5km。


その途中に彼女の家があるという。





私たちは一緒に家路をめざした。













彼女の家に着いたとき、レムットは私を家に招き入れてくれた。



家の中には彼女の父親がベットに横たわっていた。



レムットは私との経緯を父に話した。



父は静かにうなずき、私に手を振った。






その動きはかなり鈍い。


レムットは洗面器に水を注ぎ、タオルを絞った。




そして、父親の体を拭いた。










その時




一瞬私は言葉を失った。




父親の体はレムット以上に痩せこけれいた。


顔は頬の骨が見えそうなほど痩せ、胸はあばら骨が浮き出ていた。





明らかに栄養失調に、何かの病気だ。


医学の心得のない私でもその様子の苛酷さがわかる。



彼女は背中を拭くため、父を起こした。




父親は自分で起き上がれないほど衰弱していた。



自分で寝返りもうてはいので、腰と背中は床ずれで膿んでいた。







その背中をレムットは優しく拭う。





父の顔から静かに涙が流れていた。




そんな父親をレムットはいたわるように、その細い腕で肩をさすり励ました。









私はその様子をみて、こころが涙で一杯になった。


今にもあふれ出してしまいそうだった。














その時、隣の家から聞いたことのある歌が流れてきた。



日本語ではなく、タイ語にカバーされた歌だった。



彼女は子どもを寝かしつけるように静かにその歌を口ずさんだ。



「I like this song」(私はこの歌が好きなの)



父親は安心したように眠りについていた。









私も途中から日本語で歌った。









  川は流れて どこどこ行くの



  人も流れて どこどこ行くの



  そんな流れが付く頃には



  花として花として 咲かせてあげたい



  泣きなさい 笑いなさい



  いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ







  涙流れて どこどこ行くの



  愛も流れて どこどこ行くの



  そんな流れを このうちに



  花として花として 迎えてあげたい



  泣きなさい 笑いなさい



  いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ


                           花 (作詞 喜納 昌吉)







レムットは歌が終わると静かに父の背に寄り添った。





「I love father・・・・」











そう言った気がした。







はじめてレムットの涙を見た。



今まで気丈に振舞っていたが、どれだけ心細いことだろう。













私はその時思った。


なぜ彼女が最初に質問したのかを。







「Do you like flowers?」(花はお好きですか)



 泣きなさい 笑いなさい



  いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ








全ての物事には始まりがあって、終りがある。





楽しいことだってそう長くは続かない。





でも、悲しいことや辛いことだって一緒。





そう長くは続かない。





どんなことでも最後はHAPPYにすればいい。





最後に花を咲かせればいいのだ。








それは、レムットが無言で語るメッセージだった。







みなさん。

もしも、現在、嫌なこと、辛いことがあなたを襲っていても、大丈夫。

それは長くは続かないから。






そして、その「困難」はあなたを「今」以上に高めてくれる試練なのではないでしょうか。

その試練は「あなただから乗り越えられる」もの。





だってそれは



今のあなたが





さらに輝くための





試練なのだから。







大丈夫。



あなたなら。

















このコラムは受験には役立たない。



このコラムは勉強には役立たない。



しかし、みなさんにご理解頂きたい。



しかし、みなさんに知って頂きたい。






アジアに生きる同じ10代の人間からのメッセージを。




彼らは「今」を必死に生きているのです。





そして、その姿は輝いています。





それは、あなたも同じです。




「今」を我武者羅に生きるから、「輝かしい明日」がやって来るのです。







今日一日を必至に生きましょう。








今回もまた長々とお付き合い下さいましてありがとうございました。
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# by taku_kuma_2 | 2008-03-24 04:42 | ロバ吉  

社会科連載コラム 第15話

ロバの目
第15話 幸せの基準




みなさん。お久しぶりです。高等部好評休載ブログの「ロバの目」のお時間です。
この度、みなさまのご支持のお陰で「ロバの目」がブログの世界から飛び出し、本として出版されました。限定発売のため、もうじき私のストックが無くなってしまいそうです。もしも・・・・。
万が一・・・。購入をご希望の方は、かわしん大内校・宮野校・白石校の先生に申し出て下さい。

このコラムは受験には関係ないかも知れない。


テストの点に結びつかないかも知れない。


しかし、生きていく中で知っていて欲しいのです。


「世界」という存在を。


そして、生きるということを。


今回の舞台は中国の貴州省です。




この貴州は中国の中でも異彩を放つ地域である。

漢民族が9割の中国で、この地域には古くから少数民族が暮している。

最大の少数民族はミャオ族(モン族)で、プーイー族、トン族、トゥチャ族などがこれに続く。



最近まで交通の便が悪かったため民族独自の伝統文化が色濃く残る。


今日でも、棉を育て実から糸を紡ぎ、機を織る。

その布を藍で染め仕立てるといった自給自足の生活を続けている。

日本ではもう見ることのない風景がここにある。

農作業も動力を使わず、牛や水牛を使ったり人力で行う。






彼らに話を聞くと皆一様に口をそろえて言う。





私たちは手足がそれぞれある。

神様が与えてくれた大切な手足だ。

その足で大地を踏みしめ、その手で季節を感じる。

自然が私たちを生かしてくれるのだ。





“便利さだけが、幸せの基準ではない”








そんな彼らと出会ったのは今から4年前の3月。

私はこの旅で、ある家族にであった。






大学生の時、私は中国からの留学生と親しくなった。

同じ大学ではなかったが、アルバイト仲間だった。



私は、長い休みが取れるとよく旅にでる癖がある。

次の休みは、中国に行きたいと思っていた。

そのことを留学生の彼に告げ、中国でのお薦めの土地を聞いた。





「貴州がオススメだよ。日本でいう奈良みたいな雰囲気かな?」






それから、2ヶ月経った3月。

沖縄ではそろそろ夏が来そうな日差し。

私は旅にでた。











ご存知の方もいるだろうが、私の旅はリッチではない。

リュックにの中は、ポロシャツ1枚に、ボロ布同然のタオルが3枚。

飛行機代を除けば2万円だけを持参。

あと夜が寒いので、防寒用の長袖ジャージ1枚。

あとライターに○○○。とそれを入れる皿。

これだけ。

のこりは現地調達。




たまに、デジカメやノートを持って行く。

基本的に言葉は通じないので、ボディーランゲージが主流。

最初は怖いが、慣れれば楽である。

高ぶる感情だけで行動する。

そんな安易な考えでの旅も良いもでだ。





貴州省の省都、貴陽市。

名前の由来が面白い。

ここは雨の日が多く、古来より太陽が貴重だったため「貴陽」となった。

そのため、三日続けて晴れる日はないという。

だが、この雨なくして、貴陽の恵みはない。

山を切り開き棚田で稲を育てる。

これも毎日毎日適度に降る雨のおかげである。







そこには、水墨画の世界が広がっていた。


山裾が狭く、天に向かってそびえる山。

長く蛇行しながら流れる川。

c0132907_426748.jpg













今回、この貴州を訪れたのは知人の留学生に薦められたのもあるが、それだけではなかった。






旧暦の3月14日、15日に行われる祭りを見るためである。

これはミャオ族の恋愛のお祭り。

「姉妹飯節」 を見に来たのだ。



村の娘たちは水牛の角を模した銀色の冠をかぶり、龍などの意匠を凝らした自慢の銀飾りを身につける。

足の甲まである刺繍を施した長いスカートをはき、銀飾りの音を響かせながら歩く。


祭りの際には、伝統楽器である芦笙、銅鼓、木鼓などの鳴り物を吹いたりたたいたりし、踊る。

そこで、女性と男性がお目当ての相手を探す。

上手くいけば、結婚へ。

日本でいうところの「村人総出の合コン」だろう。






私がミャオ族の村に着いたのは、祭りの3日前。

もう辺りは薄暗くなっていた。

一日の労働を終え、家路につく村人たち。


省都の貴陽から公共バスで1時間、バス停から歩いて1時間。

ようやく近くの宿屋に到着した。


この時期は他の観光客も多い。

日本人も何名かいただろうか。





その日は、流石にくたびれていたので、村を徘徊することはなかった。

翌朝。

私の朝は早い。




4時に目が覚めたら、即行動。

趣味の徘徊が始まる。







c0132907_4282187.jpg










朝の市場で品物を並べるおばさん。

山の棚田に向かう男たち。

彼らは、一様に明るい。

私が会釈をするとニコっと笑顔を返してくれる。




この笑顔との出会いがあるから、朝の徘徊はやめられない。

旅の醍醐味のだ。









実のところ、私の旅は終始、この徘徊活動である。

朝、昼、晩と歩く。


疲れたら、木陰で休む。


体力が戻ればまた歩く。


これの繰り返し。


この何も徘徊の中で、沢山の人に出会う。


言葉は分からないが、大体は口調、身振り、目線で分かる。




出会うのは何も人ばかりではない。



刻一刻と姿を変える自然。



雲間から差し込む太陽光。



木々のざわめき。



川のせせらぎの音。



これら自然の音は私に安らぎや勇気を与えてくれる。



そうやって一日を終えることが、どれだけ素敵なことだろうか。














翌朝。


また私の徘徊活動がスタートする。


昨日は、村の女の子に一人も出会わなかった。


明日には祭りがあるのに、どうしたものかと不思議に思っていた。


と、そのとき。










いた。









いたのだ。









なんだか心が弾んできた。


そして、私はいつものように、会釈をした。


すると














逃げられた。



・・・・・。






あれ?






恥ずかしい年頃なのだろうと私は自己解釈(自己弁明)しまた、徘徊を続けた。


昼過ぎ。


その日はカラっと空が晴れていた。


私の心もなんだか晴れ模様。


川原の木陰で宿屋からもらった弁当を広げた。


菜っ葉の炒め物と、胡桃と炒飯。


素朴で旨かった。


今朝起きた不思議な事件もすっかり忘れていた。








竹篭に沢山の洗濯物が私の目の前を通り過ぎていった。


ユッサユッサと左右に大きな竹籠をゆらしながら、少女が川原に洗濯をしにきた。


その様子を私は静かに見ていた。


籠を下ろした少女は、こちらに気づき、ハッとした様子で私の方に歩いてきた。




「Chinese? South Korean? Japanese?」


突然英語を話し始めた。


あまりに唐突だったので


「日本!あ、Japanese.」


と間抜けな返答だった。





少女は間髪入れずに


「ああ。今朝のお兄さんですね。私にお辞儀しましたね。」


そう言って笑顔を見せてくれた。


よくよく見れば今朝の不思議少女だった。


「最近では観光客の人が多いから、私たちも話せるようにしてるのです。」


なるほど。それにしても片言ながらも日本語が上手い。













色々と話をして、気づいたら私は、少女の洗濯物を手伝っていた。


大体、この村で観光客相手に商売をしている人は、村の言葉以外に少なくとも1ヶ国の言葉を話すようだ。


少女の家は農家だが、市場でお土産などを売るので英語と日本語を身につけたようだ。


彼女の名前はパオトー。(私は上手く発音できないが・・・)


年齢は私と一緒だったので驚いた。


身長から中学生くらいだと私は思い込んでいた。



今朝、何故逃げたのかを私は彼女に質問してみた。


理由はこうだ。


ただ単純に村の男性とあまり話しをしたことが無い。


恥ずかしかったから逃げたそうだ。


私は、安堵した。









帰り際、こうパオトーに聞かれた。


「明日、姉妹飯節(祭り)に来るのですか?」


「ああ。もちろん行くよ」


彼女は会釈をして川原を去った。
















翌朝。



残念ながら曇り。




村は爆竹や銅鑼の音が鳴り響いていた。


中国では祝い事や祭りでよく爆竹を鳴らす。


しかし、この日は喧しかった。





祭りのメイン会場の村広場は人間が多すぎた。


10分ぐらいしたら窮屈になったので高台の展望台から祭りを見ることにした。


せっかく楽しみにしていた祭りなのでしっかり終始見ていたい。




高台からは会場がよく見えた。


そこからの景色は最高に美しかった。


棚田には菜の花の絨毯が広がっていた。


私の幼いことの田舎の風景がそこにあった。


思わず、感情が高ぶり涙ぐんでしまった。



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シャリシャリーン。シャリシャリーン。


小さな金属片の音がこちらに近づいてきた。


誰かが歩いてくる音もする。


振り返って私は驚いた。





すると、相手も驚いていた。





「あ"!」






そこには昨日のパオトーがいた。


ミャオ族の伝統衣装を身にまとった美しい姿に私は圧倒された。



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(左:パオトー)













「驚いた。ロバさんだったのね。」


彼女は、一緒に来た友人に昨日のことを話し始めた。





この日、村を上げての祭りなので観光客にも祝い酒が振舞われる。


私はパオトーの友人から、水牛の角で作られた杯で祝い酒を頂いた。











んんん!辛い。


それは貴州の茅台酒(マオタイシュ)だった。

無色透明のこの茅台酒は中国で国賓を遇するときには、「乾杯の酒」として必ず用いられる銘酒である。


しかし、強い。


スピリッツの53度は喉が焼ける。



だが、私は踏ん張って杯に注がれた茅台酒を飲み干した。


パオトーたちから拍手が出た。


「外国人で飲む人少ないのに。」






祭りも終焉を向かえたころ、私は彼女に聞いてみた。


「今年はどうでしたか?」


「わたしは祭りに参加するけど、男性はまだ探さないんです。」


どうしてだろうか?


この村では正月の次に神聖で大切な祭りなのに。







それには、パオトーの家の事情が深く関わっていた。














友人たちが帰ったあと、私はパオトーの家に招かれた。


この村では旅人は幸福をもたらすとして大切にされるのだ。


日本ではあんまり大切にされてない(?)ロバなのでとても嬉しかった。





家にはパオトーの父親と弟。



母親は2年前に病気で亡くなったそうだ。



土間で父親が夕食の準備をしていた。



菜っ葉の炒め物に卵炒飯。



いい香りが家の外まで漂っていた。



しかし、その父親の姿に私は目を奪われた。



左手が肘から無いのだ。



父親は昨年道路工事の際、重機に腕を挟まれ左手を切断してしまったのだ。



しかし、その料理の手際良さは関心するほど無駄が無い。



下手な主婦より上手い。









パオトーは言った。


弟はまだ8歳。


今、他家に嫁に行けば片手の父と弟だけの暮らしになってしまう。


弟が一人立ちできるようになったら嫁入りを考えるそうだ。








親父さんの料理は旨かった。


その日は、パオトーの家に泊めてもらった。


パオトーとは同じ年のせいもあったのか、会話が弾んだ。


彼女は通訳となって、親父さんや弟とも沢山会話ができた。


夜も深け、親父さんや弟はくたびれて眠ってしまった。


寝る間際、パオトーは私に晩酌をよこした。


その晩にパオトーが言った一言を私は忘れない。

   




豊かな田園風景が広がるこの村にも、中国の開発の手が伸びてきている。


先祖伝来の棚田は潰され、商業ビルが町に多く立てられていた。




「私の父はよく言っています。」


パオトーはしっかりとした口調で話し始めた。





私たちは手足がそれぞれある。

神様が与えてくれた大切な手足だ。

その足で大地を踏みしめ、その手で季節を感じる。

自然が私たちを生かしてくれるのだ。





“便利さだけが、幸せの基準ではない”





そして、彼女はいった。






お金で物は買えるけど、消えてしまった故郷を買うことはできない。


私たち民族はこの土地が大好きです。


山も川も全てが村の宝です。


先祖たちが残してくれたこの故郷を子孫に残すために、今日のような祭りがあるのです。


今存在する日常は当たり前ではないと思います。


村を守ることが私たちの使命だと思っています。


そしてそれが私の幸せです。















昨今、日本では「勝ち組」「負け組」という言葉が多く取り上げられている。


経済的余裕のある人間が人生において「勝ち組」と称される。


果たして、その論理は正しいのだろうか。


確かに、経済的余裕があれば、好きなことは出来る。


しかし、その幸せは金銭の尺度での範囲でしかない。


金銭の尺度(経済的余裕)が、全ての幸せなのだろうか。







これから社会に出る諸君へ。


この論議に結論はまだない。


まだ無いから考えるのだ。


考えることを止めてしまえば、それは退化と同じ。


一緒に考えよう。みんなで考えよう。そしてそれは、皆が同じ答えでなくて良い。


だって、あなたの幸せの基準は、あなたの基準でよいのですから。




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# by taku_kuma_2 | 2008-03-17 04:45  

社会科連載コラム

ロバの目

第14話誇り 


「不安はないのですか?」






毎回、同じ質問をされる。






私は、旅が大好きだ。








旅が大好きな私からすれば、その質問の返答に困る。











「お金はどうするのですか?」




「病気や怪我について心配になりませんか?」

















正直な話。






不安はある。





隠しようもない、紛れも無い事実だ。








しかし、それ以上に希望や夢が私にはある。










だから私は旅にでるのだ。














大金なんてない。











最低限のお金と計画とマナーがあれば、問題ない。









しかし、それだけでは不十分だと私は感じる。











大きな「断固たる決意」。






それが、私の原動力だ。














今回はラオスが旅の舞台です。




大学の研究で私はラオスのとある村を訪れた。


6月のラオスは蒸し風呂状態だ。


内陸国のため、海からの季節風が来ない。


そのため振り続ける雨の湿気がなかなか逃げない。


野外の日陰に座っていても、額から汗がにじむ。


背中を汗がツーっと流れる。


村の男性は上半身裸だ。


しかし、不思議なことに匂いがでない。


それだけが、唯一の幸せだ。




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正面の建物が研究小屋















私は村の集会場の隣にある無人となっている民家を借り、研究論文をまとめていた。


集会場を中心に村の幹線道路が形成されている。


だから、村人が暇になるとプラっとよく立ち寄る。


集会場の真向かいが、村で唯一つの小学校がある。


日本の小学校はコンクリート造りの重厚な造りだが、ラオスの小学校は違う。



高床式倉庫みたいに、地面から1m高く床が作られている。


床は竹を上手に編み、その上に板を打ち付けた簡素なものだ。


屋根もまた、竹や板でつくられている。


しかし、雨になると、天井から雨漏りがする。


私に言わせれば雨漏りという状態ではなく、滝だ。


普通の民家ではそのような事態は無いのだが、学校にかける予算が少ないせいだと、村人言う。


要するに、教育にそこまで投資できないのが、村の現状だ。





雨の日は学校が休みになる。


そんな日は、きまって小学生は私の民家にやってきて研究の邪魔をする。


彼らには、邪魔をしているという気は無いのだろうが、私は作業が進まない。





何をしているかって?





みんなで工作をする。


この村の周囲にはたくさんの竹が生育している。


その竹を使って、籠を編んだりして内職をする。


普段は皆、それぞれの家出行う。


しかし、3日前に私が「竹とんぼ」を1人の子どもに作った。


そうすると、うわさを聞きつけて村中の子どもが、「竹とんぼ」の作成を依頼してきた。


初めは、私も楽しく作業したが、正直飽きた。


そこで、私は方針を転換した。


2日前に「竹とんぼ講習会」を開いて全員に作り方を伝授した。


そうすると昨夜からと私の研究小屋に泊りがけで、竹とんぼを作る子も現れた。




雨はその後、2日降り続いた。




3日目にようやく太陽が私たちの前に姿を現した。


その日の朝、小学校の先生に呼び出された。


子どもたちが一緒に竹とんぼを飛ばしたいから、飛ばし方を教えて欲しいと言っているそうだ。


なんせ、先生も始めて見る竹とんぼ。


私は授業に乱入し、「竹とんぼ教室」を開講した。


子どもは②見込みが早く、中には10mも飛ばす生徒も現れた。




学校が終わり、子どもたちは一目散に集会場の前の広場で竹とんぼで遊んでいた。


その子どもたちの無邪気な笑顔は、6月の太陽さえ忘れさせた。





夕方。


子どもたちはそれぞれの家に戻った。


しかし、一人、女の子がまだ竹とんぼを一生懸命に飛ばしている。


竹とんぼは空に美しい弧を描きながら飛んでいた。


私は少女に尋ねてみた。


「おうちの人心配しない?」


少女は言った。


「おとうさん、おかあさんいないの。今はおじさんの家で暮らしているの。おじさんは仕事でいつも遅いの。だから、いつも遅くまで遊ぶの。」


それが、当たり前のように少女は自然にそう言った。


「ねえ。もっと高く飛ぶ方法教えてよ。」


少女があまりにもせがむので、一緒に研究小屋で改良作業を行った。


皆さん、知っていますか?


竹とんぼの羽の両端に丸みを持たし、羽を内側に軽く曲げると20mぐらいは高く飛ぶのです。


早速、少女もチャレンジ。


5分後。


あっという間に少女は、妙技を会得した。


その時の満面の笑み。私も出来たよと言わんばかりのニンマリ笑顔。


そんな笑顔を見ると私は心が温かくなる。


少女の名前はペクン。


次の日は友人を研究小屋に連れてきた。


「昨日のお礼にケッチョ(白玉団子)を作ってあげる」と言って私にご馳走してくれた。


私は彼女が見せる笑顔に出会うため、旅を続けるのかも知れない。


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左がペクン。右が近所の友人。もしかしら恋人?












あとで、聞いた話だ。




少女の両親は彼女が生まれた途端に、貧しさゆえに彼女を捨て、夜逃げしたそうだ。

そして、彼女の叔父が育ての親として引き取ったのだ。





私が旅をする理由。







私の夢はこの世界から「貧困」「差別」を無くすことです。


人はその夢を笑うでしょう。


「そんな実現不可能な夢をもつなんて無謀だ」と実際に笑う人もいました。


しかし、私は大真面目です。


私は、こうして皆さんに文字ではありますが、出会うことができました。


1人では実現の可能性の薄い望みまも知れません。


しかし、たくさんの人に認知され支持されることで、小さいですが、大きな1歩を確実に踏み出すことが出来るのです。







以心伝心という言葉があります。





私の沖縄の友人が次のようにこの言葉を解説しました。





口では上手く伝えられない。表現できないような想いがいっぱいある。

でも人間って目をつぶっていても想いを共感することができる。

心のキャンパスで感じ取れるテレパシーがある。

人は素直になることに臆病になったり、不器用で表現できない時もある。

でも、心でつながれば、やがてお互いの距離が縮まる。

そして、笑顔が溢れる。

以心伝心。すごい魔法の言葉だね。





彼はいまやミュージシャンとして活躍しています。


そんな友人の言葉を信じ私は、旅を続け「世界」の断片ではありますが、読者の皆さまにお伝えしようとしております。



少女は、両親のことを聞かされた時、どんなに苦しかったでしょう。


どんなに自分の運命を呪ったでしょう。


私には計り知れません。








こんな世界を少しでも変えたい。


こんな不幸を少しでも無くしたい。







私の決意は、今でも揺らぐことはありません。





私は、強い人間ではありません。


挫けそうになる時もあります。止めてしまいくらい辛いときもあります。


ですが、「断固たる決意」が私を支えてくれます。












断固たる決意。









それは私の誇りなのです。
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# by taku_kuma_2 | 2008-01-22 05:21 | ロバ吉  

社会科連載コラム

ロバの目
第13話 スタミナ

あけましておめでとうございます。

今年がみなさんに幸多き年となりますことをお祈り申し上げます。






はい。今年もロバの目を執筆されて頂けるとのことで有り難い限りです。







はじめての読者のみなさまへ


東進衛星予備校~山口白石校・大内校の激闘~をご覧のみなさま。

かわしん大内校(中等部)で現在、社会科を担当しておりますロバ吉です。

少しでもみなさまに、「社会」や「世界」というものに興味を持って頂けたらと思いまして昨年より連載しております。


この「ロバの目」では、当初「受験」を目的に執筆する予定でした。


しかし、それでは他の受験雑誌と何ら変わりありません。


このコラムをご覧になられている高校生諸君(中学生も大歓迎)に、広い視野をもって頂こうと考えました。

そこで、「ロバの目」では、みなさんと同じ「世界中の10代」のありのままの姿をご紹介したいと思います。



受験には関係ないかも知れない。

テストの点に結びつかないかも知れない。

しかし、生きていく中で知っていて欲しいのです。

「世界」という存在を!



みなさまと同年齢の彼らを紹介することで少しでも「社会」や「世界」にご興味を持って頂けたら幸いと感じます。



それではみなさま末永くよろしくお願い申し上げます。

                                  2008年 1月14日  ロバ吉




つい先日の会話の録音です。
↓↓↓↓↓

M原氏:「ロバさん・・・・コラムさぼってたでしょ・・・」


ロバ:「えー。そんなことないですよ!前回は12月・・・・あ。」


M原氏:「ほら。思い出せないくらいの過去に・・・」


ロバ:「あわわww(汗)」


M原氏:「と言いつつモジャリンコ大先生も!」


モジャリンコ大先生:「あれ!?そんなコラムありましたっけ?」←誤魔化そうと必死


M原氏:「今年の一発目はどんな大爆笑を取ってくれるんですかねー(ニヤリ)」←相当嬉しそう


モジャリンコ大先生:「って自分・・・何曜日の担当でしたっけ?」




自分の担当曜日まで忘れるモジャリンコ大先生に私は唖然としました。

はい。そんなお怒りの声を多数頂きました。

はい。申し訳ありませんでした。

はい。真実を申せば、なんと!

はい。ロバの目が本になります!

そのための資金稼ぎと出版社周りをしていました。

価格はまだ未定ですが、2月中旬に発売予定!

内容はヒ・ミ・ツ。




では、いつものように長い前置きはこれくらいで本題です。


今回は東南アジアのラオスの北部の街、フエイサイが舞台。



中国南部の雲南省とミャンマーに隣接する国境の街である。



国土の大半は森林に覆われ、道路もアスファルトが敷かれている箇所は少ない。



密林の中に村が点在すると言ってよい。




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私はタイのチエンコーンという街からメコン川を渡りこのフエイサイの街に入った。



街といっても、ビルなどは少ない。庁舎やイルミネーションや信号機は無い。



朝日が昇れば、露天商が仕入れた野菜や魚を威勢の良い声で売りさばく。



昼には近所のおばちゃんが道路に無許可で屋台をかまえる。


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これはバナナの揚げ物です。



私は絵を描くことが好きです。



しかし、他人に誇れるほど上手いという訳ではない。



あくまでも「隠れた趣味」という枠内のもの。



こうして旅をして鉛筆でデッサンするのが好きなのだ。



今回の旅は調査やレポートといった柵はなかった。



だからのんびりと川辺に腰掛け、漁師のおじさんや川に水くみに来る女性を写生する。



私の旅の中で一番幸せな時間だろう。



人間は好きなことをすると、時間を忘れる。



時間を忘れるならまだしも、自分が現在いる場所さえも忘れる。



人間の集中とはすごいものだ。



B5サイズのデッサン帳に夕日が指した。



その瞬間に我に帰り、時計を見た。



なんと書き始めて4時間が経過していた。



描いた枚数は8枚。



そんなことに驚くより、夕日がもうすぐで沈みそうだ。


慌てて宿屋に戻った。




帰り道にはナイトマーケットが並んでいた。
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宿屋は1階が民家で2階がゲストハウス。


家賃はたしか日本円で50円だったかと。



夕食は家主のおばさんの特性ラオス風お好み焼き(タレなし)



夕食が終わって、宿屋の子どもが僕の描いた絵を鞄から漁って持ってきた。



日本にいたら「何すんぢゃい!」と一喝する場面だがここはラオス。



まあ子どものする事だからお怒り免除。



言葉は通じないので、ジェスチャーでの会話。



私の絵を取ってきた理由は、どうやら絵の書き方を教えて欲しいらしい。



彼は今まで、絵が上手に描けないことを小学校のクラスメイトから笑われていたようだ。



私は、遠近法の一点透視図法と二点透視図法を伝授した。
(知らない人は辞書を調べてちょ)



この技法を知っているだけで、デッサン力は格段にUPする。



今まで、彼が描いた絵を見せてもらった。



何度も何度も試行錯誤し絵を描いていたようだ。



彼は今日まで絵を描くことから諦めず、努力していたのだ。



しかし、今彼が描いた絵はそれと比べものにならないほど上達している。



彼の表情は真綿が水を吸い込んだような笑みがこぼれていた。



人間は思い悩むと2つの道に出会う。



その問題を解決しようと努力する道。



もう一つが逃げ道。



彼は絵を描くことから逃げず、解決方法を模索した。



必死に模索し、努力したから「結果」が表れた。






諸君に言いたい。



「結果」は我無者羅に努力するから生まれるものである。



努力せず、生まれる結果は泡沫の波と同じ。



そして、大事なことは「結果」が表れるまで自分を信じ続けるスタミナを持つこと。







そのスタミナのことを人は「自信」と呼ぶ。



絶対に自分をあきやめちゃいけない。



受験生、そしてこれから受験生になる諸君。



自分で自分に限界をつくるな。



その限界は諦めと同じ事だ。



最後まで走り続けるのだ。



君の栄光のゴールまで。







新年はじめは明るい話題から良い雰囲気を作りましょう。ということで。

次回は同じフエイサイから、1年後の様子をお届けします。

長々とおつき合い下さいましてありがとうございます。

皆様からのご意見ご感想をお待ちしております。
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# by taku_kuma_2 | 2008-01-15 05:24 | ロバ吉  

社会科連載コラム

ロバの目
第12話 お届けもの


みなさん、ロバの目のお時間です。



最近、寒くなりましたね。



沖縄産のロバですので、寒い山口は大変苦手です。



しかし、読者のみなさまからの温かい



お言葉のおかげで、私は今日も生きています。





本日の舞台はタイです。
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かつて首都バンコクは運河や水路が多く水運が発達しており




「東洋のベニス」と謳われた。




しかし、現在ではその多くが埋め立てられて道路となってしまった。



今ではチャオプラヤー川や一部の運河では乗り合い船が運行されているだけだ。
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写真:チャオプラヤー川とザ・ペニンシュラ・バンコク(最高級ホテル)








タイ語ではトゥクトゥクという三輪バイクがタクシー代わり。



私はトゥクトゥクの待合所のおじさんに



「彼のに乗りな」と言われた(ような気がする)



運転手は14歳のタンプラ。



彼はカレン族の出身だった。



以前カレン族の村に言ったことを告げた。



彼とはすぐに友達になった。







なぜこんなに会話ができるかって?










それは僕がタイ語がペラペラだから。













うそです。



タンプラが日本語ペラペラ。



かれは14歳といえどもこの商売のプロ。




日本語の他に韓国語もできる。





目的地までをタンプラに告げ、あとは値段交渉。



「友人価格だね」とタンプラ。



通常の半値でサインしてくれた。



今回は少しリッチな旅だ。



研究が目的ではなく、あくまで観光。



私にとっては珍しい旅だった。



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写真:トゥクトゥクの待合所







タイの世界遺産を巡るのが今回の目的だ。



タイには3つの世界遺産がある。


その昔、タイにはアユタヤ王朝が栄華を極めていた。


この王朝は日本、中国、琉球などの東アジアの国々とスペイン、ポルトガルの南蛮とを結ぶ貿易の要所であった。


そのため、アユタヤ王朝は中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた


独自の華やかな文化が開花した。






『アユタヤ歴史公園』

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写真:ワット・ヤイチャイモンコン






寺院の壁には当時、文字の読めない庶民のための工夫が施されている。



壁には仏陀の教えがレリーフとして刻まれている。






研究が目的でなかったため、事前調査は皆無。



だが私にはタンプラがいる。



彼が全ての寺院の案内をしてくれた。






昼食はタンプラのお勧めの屋台。



でも海老アレルギーのロバにとっては食べられるメニューが少ない。



でもタンプラが、「海老抜きにしてよ。僕の友達なんだ。」



と店主に一言いってくれたお陰で私はウマい海老抜き海鮮パスタを味わえた。





彼には本当に感謝している。







しかし、私の旅。






宿泊所など予約していない。




気の赴くがままの旅。






寺院の境内で夜露をしのげれば良い。



タンプラにそのことを告げた。




















「ダメ!!!」




「ロバの身になにかあったらどうするの!?それに寺院は神聖な場所!」







彼は優しかった。




私を叱る時に、寺院のことを先に言わず、私の身を案じてくれた。




彼の気遣いだった。










ニコニコしながら私に言った。





「泊まるとこがないなら、僕の家においでよ」



「今は町に引っ越しているから」







なんとお宿はタンプラの実家。





タンプラは家族に事情を説明し、家に招待された。




タンプラの家族は、快く私を迎えてくれた。


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写真:タンプタの家族(写真手前右の少年がタンプラ)







私は、研究時に写真を撮らない。


それは、写真をとる被写体はあくまで研究資料としてでしか、使用できないようにするためだ。


特別な感情を抱いてしまっては忠実な研究はでいない。


あくまで、傍観者的な寂しさを残さなくては、論文を執筆できない性分なのだ。











しかし、今回は違う。



私にとってはバカンスだ。








夕食後、今日一日のできごとで家族は盛り上がった。



お互いの国の違いなど関係ない。


むしろ違うから楽しい。


日本とタイの両国御国自慢対決、文化、学校、さまざまな事をみんなで話した。


そこには「知りたい」「話したい」「楽しい」



そういった感情が渦巻いていた。



私はこの家族に日本人としてではなく、一人の人間として受け入れられた。












家族が寝静まったあと、彼のお父さんから話を聞いた。



タンプタの父もまた日本語を話す。



彼は、日系企業のメーカーに勤めるエンジニアなのだ。



豊かな顎髭をさすりながらタンプタの話をしてくれた。










実はタンプラは彼の子どもでない。











タンプラには4歳離れた姉がいた。




タンプラの家族は凶作続きで餓死寸前だった。




ある日、彼の姉は姿を消した。




大好きな姉さんが姿を消した。




タンプラは村中を探したが、誰も知らないと言う。




両親に聞いても、知らないといった。



彼は泣き叫んだ。



しかし、姉は帰ってこない。










その3年後







姉が帰ってきたと村人の一人が彼に知らせた。



タンプラは真っ先に姉の顔を身に村の入り口まで走った。






しかし、彼が見た姉の顔は、3年前の顔とは違っていた。




見る影もないくらい、痩せこけていた。



明らかに何かの病気だ。




でも、大好きな姉の帰りを誰よりもタンプラは喜んだ。



「姉さん、おいしいもの食べればすぐに元気になるよ。」


「今年は豊作だからお米が、たくさんだよ。」







しかし、日に日に弱っていく姉。




彼は姉を町の病院に入院させるため、単身で街に出た。


そして、彼はトゥクトゥク乗りになった。


稼ぎのほとんどは姉の治療費にあてた。







しかし、その半年後





彼の大好きな姉は静かに息を引き取った。









姉は、貧困にあえぐ家族のため



自ら売春宿に働きに出た。









そして、HIVに感染した。







彼の両親はその次の日、自殺した。










タンプラはその後、町にいるこの叔父家族に引き取られた。



引き取られた日の夜、タンプラはこう言ったそうだ。


もう誰の悲しむ顔も見たくない。


一日をハッピーに終えたい。















話しが終わったあと、私は声を殺して泣いた。







私はやっと理解した。


タンプラが私の身を案じてくれたことを。


彼がここまで私に親切にしてくれたことを。










もう誰の悲しむ顔も見たくない。









彼の思いを私は、はじめて理解した。







最後にお父さんがこう言った。



苦しさ悲しさを知る人間は強くなる。

そして、苦しさ悲しさを知る人間は優しくなる。

あの子が何故君をここに呼んだかを私は今理解しました。

あの子はこの家に「ハッピー」を呼びたかったのでしょう。


あの子は本当に優しい。


あの子は私にとって自慢の息子です。






そう言ってお父さんは静かに泣いた。




















苦しさ悲しさを知る人間は強くなる。

そして、苦しさ悲しさを知る人間は優しくなる。






受験生の諸君。


今が本当に苦しい時期だと思います。


不安な気持ちに押しつぶされそうなくらい、苦しいと思います。


しかし、これはあなたたちを成長させるための試練なのです。






その成長とは、学力ではありません。


人としての心を成長させてくれる試練なのです。


この試練に打ち勝ったとき


あなたは誰よりも強くなれる。



そして、誰よりも優しい大人になれる。





是非とも輝く未来のため今日を我武者羅に生きてください。
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# by taku_kuma_2 | 2007-12-11 03:18 | ロバ吉  

社会科連載コラム

ロバの目
第11話 信じる

みなさんロバの目のお時間です。

どうですか?このコラムは?

このコラムはやはり受験勉強や普段の生活では

まったく役立たないことばかりです。

たしかに、役立たない。



しかし、知っていて欲しいのです。

これから、高校、大学、社会へと大いなる夢を羽ばたかせようと

今を生きる諸君たちへのメッセージです。



それは、私からのメッセージではありません。

アジアの同じ10代の子どもたちからのメッセージです。 




それでは、今回もアジアで必死に生きる子どもからのメッセージです。













「この世界にはなぜ貧しい人がいるのだろう」















それが私の大きな疑問だった。








大学生は4年間という「時間」を買っている特権階級だと私は思う。

大学生は研究者の卵である。

「好きなことをしなさい」

それが日本の大学の発する呪文だ。

遊ぶもよし。

サークル活動をするもよし。

恋愛をするもよし。

バイトをするもよし。



私はわがままな性格である。

それらは全て実行した。




だが忘れてはいけない。

大学は研究機関であることを。

教育を受けるだけの機関ではない。



大学では沢山の本を読んだ。

社会的に「偉い」という学者にも話を聞きにいった。

でも








それらでは、私の疑問を晴らすことはではなかった。

だから、私は自らの「足」で知ろうとした。

それが、全ての「旅」の始まりだった。

















2度目のカンボジア


私は地雷の被害調査で訪れた。


被害者の社会復帰をサポートするのが目的である。


地雷の被害者は肉体的にも精神的にも

苦痛を強いられている。


義足や義手を作る十分な技術をこの国はまだ持っていない。


それに、義足を1足そろえると日本円で1万円以上はかかる。


カンボジア国民の年収の約半分だ。


個人で買える代物ではない。





2003年、地雷被害は減少傾向にあると思われていた。


しかし、この調査でその後800名以上の人が地雷・不発弾の被害に遭っている。


2005年の被害者数862人で考えると


月に約70人


一日に約2人が地雷や不発弾の被害にあっていると言える。


この惨劇は現在も続いている。


地雷の恐ろしさは、その殺傷能力でない。


殺傷能力は極めて低い。


安価で数多く使われる小型の地雷は、敵兵を殺すことが目的ではない。


敵兵に重傷を負わせることにより戦闘不能にすることを目的としている。


敵兵を1人戦死させれば、それは敵の兵力を1減らすことになる。


しかし、敵兵1名に重傷を負わせれば


敵は重傷者を後送する兵・手当てする兵を確保せねばならず、前線の敵兵力を2名以上減らすことができる。



しかも、地雷を駆除する方法は1つしかない。


それは、爆破させることだ。


一度埋めてしまえば、どこにあるかわからない。


戦争が終わっても、被害が増えるのはそのためだ。












私は調査のために「バッタンバン」という村にやってきた。


ここはカンボジアが内戦状態だった90年代に多くの地雷が埋められた激戦地だ。


今でも、村のあちらこちらに地雷警戒の立て札がある。











しかし、戦争は終わったのだ。










人々は生きるために田をおこし、種をまき、稲を育てなくてはならない。


たとえ、その田が地雷原の真っ直中でも。





地雷原で無邪気に走り回る子どもたち。


地雷原に立つと激震が走るほどの恐怖を私は感じた。


足が竦んで、前に足を運べない。

















怖い。












それしか言いようがない。


そんな私を見て一人の少女が笑った。


真っ白な歯をキラっとさせ笑っていた。


恥かしさ、憎たらしさ、可笑しさ。


恐る恐る私は、少女に近づいた。


あともう少しという所で、彼女は私の手を引っ張った。











「あっ!!!!!」












私の驚きようが可笑しいのか、彼女は声を出して笑った。






太陽の恵みを受けた小麦色の肌。




小顔で白い歯とパッチリしは目がとても印象的な少女。




たぶん、私が中学生くらいなら間違いなく一目惚れしていた。







やはり彼女は村でもとびっきりの人気者。


年頃の男の子が髪をポマードで整え、盛んにアプローチしていた。


彼女は男の子を恥ずかしそうに追い払っていた。














「あなたは日本人ですか」














どこからの声だろうか。


私は驚いた。













声の主はその少女だった。










彼女は近くのNGOのボランティアスタッフから日本語と英語を習っていたのだ。



文字は書けないが、会話なら出来るようだ。






女の子の名前はシーウォン。


年齢は17歳


「ウォ」の発音が私には難しく、私が名前を呼んだら相当笑っていた。







彼女は外国の話をすごく聞きたがっていた。


やはり、日本人は皆「日本刀」を持つ武士なんだと思っていたようだ。


日本の中学生が携帯電話などを持っていると話したら、目をひんむくほど驚いていた。


カンボジアでは役人以外で携帯電話を持つ人がいないらしい。


シーウォンは日本の中学生を国家の役人だと思いこんだらしい。


この事情は後で説明した。


彼女との話は楽しかった。


お陰で少しクメール語(カンボジア語)が話せるようになった。


2週間の間、ほぼ毎日彼女と話していた。













私が日本に帰国する2日前
















一緒に現地で調査を行っていた事務所に一本の電話が届いた。


















シーウォンが地雷の被害に遭ったのだ。
















私は急いで事務所のジープを走らせた。


そこはあの地雷原。


背筋が凍り付く思いだった。


しかし、彼女が心配で仕方ない。











彼女は幸い命に別状はない。


しかししの代償は大きかった。










彼女は両足を失った。









「心配しないで」










苦し紛れの笑顔での言葉が


深く私の心をえぐった。






彼女には身よりがない。


両親と弟は内戦で殺された。


親戚もなく頼る相手もいない。


彼女は村の工場で働いていたが、この怪我では働けない。


医療費なんて払えない。


もちろん義足など高すぎて買えない。






私は地雷の調査現地事務所に掛け合い


彼女の面倒をみてくれるよう頼んだが無理だった。






幸い、村で商店を経営する女性が彼女の面倒を見てくれることとなった。


その女性は内戦で、夫と子どもを亡くしていた。


彼女の家とは真向かいの近所同士。


シーウォンも同意し、その女性に引き取られることになった。





帰国する前日、私は街の両替商を訪ねた。


手持ちの米ドルを現地通貨リエルに交換するためだ。


全部で400万リエル。


日本円にして1000円


交換した足でバッタンバンの商店にいった。


シーウォンに会うためだ。


彼女に明日帰国することを告げ、彼女を引き取った女性にお金を預けた。


女性は私の手を強く握り、大きくうなずいた。



















1年後、私は再びバッタンバンを訪れた。


バッタンバンの地雷原駆除は思いの外進行が早く、去年の3分の1の面積にまで減少していた。


シーウォンは元気だった。


義足はまだ買えないが、店のレジを任されていた。


看板娘でお客の大半は若い男の子だった。


私が再び来たことを喜んでくれた。


しかし、やはりショックなのだ。




「無くなってしまったものはしょうがない、時間を過去に戻せる時計なんてないもね」


「でも、未来を今より良くすることはできる」


「だから私負けないの。辛いことは山ほど経験した。」


「だから負けられないの。負けたくないの。」



彼女は強かった。


内戦を生き抜き


両足を失っても、必死に生きる姿勢。


私には到底真似出来ない。


辛いことを山ほど経験し、それでも未来を信じれる強さ。


その時のシーウォンの顔を私は一生忘れない。








ここまで強く未来を信じれるだろうか。



いや、最後まで信じた者が救われる。



勉強だって、部活だってそうだ。




未来を変えたい、良くしたいと強く願う心が、未来を切り開く。



受験生の諸君。



押しつぶされそうなプレッシャーの最中だと思う。



しかし、負けないで欲しい。



未来を強く信じて欲しい。



それが自分を必ず救うから!
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# by taku_kuma_2 | 2007-11-20 05:16 | ロバ吉  

社会科連載コラム

ロバの目

第10話 生かして

みなさん。



ロバの目のお時間です。



ロバの目も第10話目という節目にまりました。



これだけ続けられたのも、読者のみなさまの存在があってのことです。



最近、うれしい事があります。



それは、「先週の話はとても考えさせられました。」「今週はどんな内容ですか?」
などのみなさまからの反響です。



私にとってその声がとてつもない財産だと今改めて感じております。




モンゴル特集も今日で最終回となりました。




このコラムは勉強には役立ちません。




しかし、知っていて欲しいのです。




世界の子どもたちの「今」を。


マンホール・チルドレンの現状調査という目的で私はモンゴルを訪れた。


モンゴルには子ども専門の警察機構が存在する。


それだけ、マンホール・チルドレンの問題が深刻なのだ。


子どもたちの現状調査のため私は、この児童警察を訪ねた。


児童警察の建物は平屋建ての200坪ほどの施設。


今にも倒壊しそうなオンボロな施設。


私が以前訪ねたときは、100名近くの子どもが収容されていた。


しかし、今回訪れて私は驚いた。


収容されている子どもの数が激減していたのだ。


内部には20名ほどが収容されているだけだった。


また、施設内の子どもに話しかけても、以前はビクビクしていたが


みな笑顔でニコニコと質問し応えてくれた。


大人に怯えている様子ななかった。


その様子を見たとたん、私は初めての訪問時の感情を思い出した。


「怒り」「悲しみ」「虚脱」「驚愕」


あのとき、子どもたちの目は恐怖で強張っていた。


恐らく、警察官から暴力を振るわれていたのだろう。


「外に逃げられては困る」との理由だったと思う。


子どもはみな、上半身が裸かもしくは薄着だった。


この寒さの中に見逃げても、凍えるだけだ。


「そうすれば、ここから逃げないから」


そう児童警察官は当たり前のように言い放った。


今でも胸に残っている光景がある。


14歳ぐらいの少女たちが上半身裸で立たされていた。


乳房も膨らみ、大人の体に変わろうとしている時期。


胸を両手で隠し、恥ずかしさに耐えている光景だった。






とても見るに耐えがたい光景であった。


児童警察といっても、子どもを保護する場所ではない。


そう私は感じずにはいられなかった。


そのような、光景が今回の訪問では一度も見られなかった。


私はある種の覚悟していたが


そんな心配は子どもたちの笑顔を見たとたん


払拭された。


私が児童警察を再び訪れて、すぐに一人の少女が連行されてきた。


大きな瞳が印象的な可愛らしい少女だった。


しかし、児童警察のお世話になるということは家庭に何かしろの事情があるということだ。


彼女は弟と一緒に連行されていた。


私は、その弟が腕から出血していた事を見逃さなかった。










彼女と弟は別室で事情聴取を受けていた。


取調室で彼女は必死に弟を助けて欲しいと言い続けていた。


私はその少女の事情聴取に同行させてもらった。


この姉弟が私の知り合いのNGOが運営する


児童保護施設に入所できるかどうかの審査をするためだ。


「家族は?」


という問に彼女は必死に


「お父さんもお母さんもいません。」


と言った表情を見て私はすぐに、嘘だと確信した。


嘘はすぐに顔に出るものだ。











彼女の発言はやはり、嘘であった。






彼女は嘘をついた理由を泣きながら話してくれた。


よっぽど辛かったのだろう。







お父さんは私が生まれた時にいなくなりました。


お母さんはいます。


でも、お母さんは仕事が無くなってから毎日お酒を飲んでいます。




お母さんは辛いことがあると必ず私たち姉弟に当たります。


特に力の弱い弟にはひどく当たります。




弟が泣き叫んでも、お母さんは執拗に殴ります。


今日もお母さんは弟に空の酒瓶を投げつけ、弟は破片で大けがをしました。


いつか弟は殺されてしまう。


私はそう思って、家を出てきました。


お願いです。


どうか弟を殺させないでください。


このままだと、弟は殺されてしまいます。


弟を助ください。


少女は必死だった。


通常ならば、家庭に通報し引き取ってもらうようにしている。


しかし、今回はそうはいかない。


彼女たちは明らかに虐待を受けていた。


もう、親元には帰せない。


彼女と弟は知り合いのNGOで預かることにした。


私はみなさんに知って頂けるだけで幸いだ。


世界という存在を知り、あなたの心はどう動くだろうか。


彼女は弟を守るために必死だった。


成し遂げるためには、必死にならなくてはならない。


あなたは今日を必死に生きただろうか。


格好など気にせず、我武者羅に打ち込んでいるだろうか。


今日を真剣に生きたなら、あとには素晴らしい過去が残る。





明日のために、今日という素晴らしい過去を刻もう!
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# by taku_kuma_2 | 2007-11-10 02:54  

社会科連載コラム

ロバの目
第9話 お腹空いたよ

みなさん、こんにちは。


ロバの目のお時間となりました。


先週に引き続き、今週もモンゴルから世界の目を広げてみたいと思います。


みなさんにお約束できる事が3つあります。





ひとつめ。




このコラムが受験や勉強には直結して役立たないこと。








ふたつめ。



日本以外の国々の様子がわかること。








このふたつは、安易に納得して頂けたと感じます。






みっつめ。




それは今回の最後にお知らせします。









それでは、第8話をスタートさせます。















私が、モンゴルを初めて訪れたとき、モンゴルは廃墟と同じ臭いがした。


乾いたとも、湿ったともいえない空気。


絶望だけがただよう空気。


灰色の重い空気。


草原ではあれはど美しく感じた空気も


街では体内に入れることさえ


拒みたくなる。


理由はソ連崩壊だ。


ソ連の社会主義崩壊の世はでモンゴルは大打撃う受けた。


その首都ウランバートルでも殺伐とした雰囲気が広がっていた。


モンゴルはその昔、70年近く、社会主義体制を行っていた。


その当時のモンゴルは国家予算の約7割をソ連からの無償援助で賄っていた。


モンゴルはソ連の衛星とで言われていた。


しかし、ソ連は崩壊した。


もちろんモンゴルに援助などやってこない。


この国は壊滅的な損失を被った。


西側の資本主義国の傘下になったが、


経営力、商品力など、


とても資本主義社会で生き残れる状態ではない。


その結果、街には大量の失業者があふれていた。


恐ろしいほど、貧困がひとびとを襲った。


酒を飲み、酔っぱらい、家庭に暴力を振るう父親も出てきた。




「お父さんに殴られるのは、もういやだ」




そう言って自ら家を飛び出し、ホームレスになる子どもを沢山見てきた。


家族全員が餓死するほどにまで、追い詰められた家庭を沢山見てきた。


親が「もう生きてはいけない」と


我が子を路上に置き去りにした事例は数え切れない。


大きなデパートでの前の路上で、ある少年にであった。


彼は背丈からみて中学生くらいだろうか。


しかし、眼光には力がない。


グッタリと商店の前にうずくまっていた。


通りかける大人は誰も声をかけようとはしない。


自分自身が生きていくのにやっとなのだ。


他人の悲鳴には耳を貸さない。


今日を生きるだけで精一杯なのだ。












私が彼に近づこうとすると


彼は力なく立ち上がろうとした。


しかし、起き上がることができず


すぐに倒れた。


「病気なのか?」


覚えたてのモンゴル語で問いかけると


「僕は3日前から何も食べていない。」


「だから力がでない」


そう同行してくれた通訳の友人が


彼の言葉を伝えてくれた。


彼は言葉を発したのちに


ポケットからビニールの紐を取り出した。


私は何をして欲しいのか理解できなかった。


その少年は口いっぱいにビニール紐を詰め込み


クチャクチャと噛み始めた。


食べれるはずが無い。




















人間がもっとも苦しいのは


何も食べれないことだ。


究極の空腹時に自己を満足させる方法


ボロ布、新聞紙、ビニールなどを口に詰め込み


噛むと、少しだけ空腹が和らぐ。


お腹がすいて苦しくてたまらないから


ビニール紐を噛んで、自分を欺く。






「・・・・・お願い」








「食べ物を買うお金をちょうだい・・・・・・」










彼は泣きながら私にそう言った。















彼はその後


知り合いのNGO団体の児童保護施設に引き取られることとなった。


このようなストリート・チルドレンはこのモンゴルに数え切れないほどいる。


そのような子どもを毎回のように保護できるほど


このモンゴルには施設がない。


だから海外のNGO団体が運営する施設が数多くあるのだ。


ここモンゴルのストリート・チルドレンは


別名マンホール・チルドレンとも呼ばれる。


理由はマンホールの中で暮らしているからだ。


モンゴルの冬は厳しい。


真冬には氷点下40度まで気温は下がる。


路上にいては凍死する。


だから少しでも暖のとれる下水の中で暮らすのだ。


もちろん臭い。


汚物と共の生活だ。


しかし、そうでもしないと生きては行けない。


マンホール・チルドレンの中には女の子もいる。


男の子より女の子の方が悲惨である。


女の子は親に捨てられ、子どもだけで暮らす。


しかし、体の変化について教えてくれる大人は誰もいない。













先ほどの少年を保護施設に搬送したのち


私はもう一度、ダルハンの街にでた。


ここでの衝撃は忘れられない。













ボロボロの格好でダルハンの街を彷徨う女の子を見た。








彼女は股間を真っ赤に染め、歩いていた。







なぜ、自分の体から血が流れるのかわからない。


彼女は「ギャー」っと叫ぶように泣いていた。


見ているこちらの胸が痛くなる光景だった。


しかし、大人は誰一人として声をかけない。


みな、自分のことで手一杯なのだ。


誰を責めることも出来ない現状。


彼女は力なく街灯の下にうつむき腰をかがめた。


私はこの時一人だった。


先ほどの少年の件もあり、ポケットには多少のお菓子を持つようにした。


周囲の大人は狂人を見るかのような


冷たい視線を彼女に当てた。


まるで迷惑そうに。


彼女は何も知らないだけだ。


いや、何も知らされていないのだ。


私はポケットに詰め込んだキャラメルを手にし


彼女の脇に腰掛けた。


私は少女が嫌がるだろうと思ったが


何もしないで通り過ぎることが出来なかった。


偽善かもしれないが、何かしたかった。


私が座った事さえ気づかないくらい


彼女は滅入っていた。


しかし、私の差し出すキャラメルに気づき


恐ろしいものでも見たかのような視線で私を見つめた。


その直後


彼女は私の服をつかみ泣き叫んだ。


「私は死んでしまうの?」


彼女は何も言葉を発しなかったが、私にはそう聞こえた。


私は抱きしめてあげることしか出来なかった。


彼女が泣き止むまで私はそうした。


周囲の視線は痛かった。


しかし、彼女が抱える苦しさや不安痛みに比べれば


私のことなど、問題ない。


落ち着いた彼女にキャラメルを差し出した瞬間


私に見せた満面の笑み。


世界のどの絵画や宝石よりも美しかった。


思わず、涙がこぼれた。


彼女は一瞬不安そうな顔をしたが


児童保護施設の写真を私が見せると


落ち着きを取り戻した。


この児童保護施設はこの界隈では有名らしい。


同じアジア人の経営する施設というだけで役所などの対応も良い。


彼女は施設の医務室で診察を受け


自分の体の変化について説明を受けた。


できれば、この施設で彼女を保護して欲しい。


私はそう願い出た。


しかし、施設内のベットは先ほど私が連れてきた


少年で最後のベットだったらしい。


やりきれない感情で胸が押しつぶされた。


医務室から出てきた彼女の顔には不安はなかった。


自分に起こった現状を受け入れることができたようだ。


しかし、ここでは生活できない。


彼女にはまた路上生活が待っている。


私にはそれを伝える勇気がなかった。


どうにかして彼女を受け入れてもらえるように現地の施設長に直訴した。


なかなか首を縦には振らない。


しかし、私の願いは受け入れてもらえた。


こういう交渉には汚い話ではあるが


多少の金銭が必要である。


賄賂と理解してもらっても構わない。


一人の命がかかっている。


お金に綺麗も汚いも関係ない。


私は今でもそう感じている。


施設での正式な受け入れが決まり


私はその旨を彼女に伝えた。


彼女はこの日、1年ぶりにお風呂に入ったそうだ。


ホコリや泥で汚れていた頬も


ボサボサだった髪も


見違えるほど美しくなっていた。


彼女の夢は舞台女優になることだった。


大きく澄んだ瞳がとても印象的で


施設のアイドル的存在になった。





























彼女と出会って3年が過ぎた。


今年の春に一通のメールが私に届いた。


モンゴルからのメールだ。


送り主は児童保護施設の施設長だった。


そのメールには次のように書かれてあった。


「彼女は来年、日本の大学で大学生になります。」


胸がジーンと焦がされたような嬉しいメール。


私と出会った時、彼女は15歳。


あの空腹少年は


中国語を身に付けて、中国とモンゴルを往復する


長距離トラックの運転手になったそうだ。


彼は今年結婚したそうだ。


しかし、モンゴルで生きていくには


現実はまだまだ厳しい。


しかし、彼らは逆境を乗り越え夢を掴もうと


必死に生きている。


夢は希望となり、現実となる。


そうせねばならない。


夢は自分を照らす光明である。


不可能などない。


要は行動するか、行動しないかの両者である。


能力や境遇ではない。


今日を必死に生きた者だけが、明日を生きるチャンスを与えられる。












ロバの目でお約束できること


みっつめ



それは最後まで読みこなす「忍耐力」がついたということでしょうか。



本当はそのことは私の意図としない範疇ですが



多数の読者からそのような意見を頂きます。



人間の苦しみ、悲しみ、喜び、怒り。 

様々な感情を通して人間は成長し、発展します。

私のコラムは大体3000字から4000字の内容です。

私自身も執筆するにあたり、かなりの忍耐力がついたと思います。

長いコラムではありますが、今後ともどうか宜しくお付き合い下さい。

今回もまた、長々とお付き合い下さいまして

ありがとうございます。

ご意見ご感想等がございましたら宜しくお願い致します。
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# by taku_kuma_2 | 2007-10-30 02:53